イエスの使命

 「さて、一行はそこを去って、ガリラヤを通って行った。イエスは、人に知られたくないと思われた。
 それは、イエスは弟子たちを教えて、「人の子は人々の手に引き渡され、彼らはこれを殺す。しかし、殺されて、三日の後に、人の子はよみがえる。」と話しておられたからである。
 しかし、弟子たちは、このみことばが理解できなかった。また、イエスに尋ねるのを恐れていた。」(マルコ9:30-32)

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 弟子たちと共に過ごすのがもう長くないイエスは、自らの今後をはっきりと弟子たちに教える。
 「自らの今後」というよりは、「自らの使命」と言った方が適切か。
 ここでイエスは、ご自身の来られた目的を、はっきりと話している。
 「人の子は人々の手に引き渡され、彼らはこれを殺す。しかし、殺されて、三日の後に、人の子はよみがえる。」

 イエスは、罪なき肉を持つ人間として、この世に来られた。
 その肉が、人々によって切り裂かれ、殺される。
 それによって、罪深い人間の肉が、極刑として処罰されるのである。
 そしてイエスは人知れず復活し、そのことを信じる者は、肉の処罰による罪からの解放にあずかる。

 弟子たちは、イエスの言っていることが、このときは理解できない。
 理解できるとしたら、それは復活のイエスに出会って罪赦されたときだ。
 そしてそのことは、この弟子たちに限ったことではない。

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