満ちあふれるほど増やす

 「するとイエスは彼らに言われた。「パンはどれぐらいありますか。行って見て来なさい。」彼らは確かめて言った。「五つです。それと魚が二匹です。」
 イエスは、みなを、それぞれ組にして青草の上にすわらせるよう、弟子たちにお命じになった。
 そこで人々は、百人、五十人と固まって席に着いた。
 するとイエスは、五つのパンと二匹の魚を取り、天を見上げて祝福を求め、パンを裂き、人々に配るように弟子たちに与えられた。また、二匹の魚もみなに分けられた。
 人々はみな、食べて満腹した。」(マルコ6:38-42)

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 五千人の給食より。

 私たちは皆、アダムの子孫である。
 善悪の知識の木から食べてしまったアダムの子孫、罪の肉にからめとられた存在である。
 であるが、その私たちのうちには、かすかにアダムの栄光も残っている。
 私たちが、わずかながらも良心というものを宿しているのが、その一例だろう。

 イエスとの出会いによって、このようなアダムの栄光の跡が満ち満ちて増大する。
 それはどのくらい増えるのかというと、「人々はみな、食べて満腹」するほどのものであり、その人は罪赦されて「いのち」を回復するのである。

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