神のように

 「そこで、蛇は女に言った。「あなたがたは決して死にません。あなたがたがそれを食べるその時、あなたがたの目が開け、あなたがたが神のようになり、善悪を知るようになることを神は知っているのです。」
 そこで女が見ると、その木は、まことに食べるのに良く、目に慕わしく、賢くするというその木はいかにも好ましかった。それで女はその実を取って食べ、いっしょにいた夫にも与えたので、夫も食べた。
 このようにして、ふたりの目は開かれ、それで彼らは自分たちが裸であることを知った。そこで、彼らは、いちじくの葉をつづり合わせて、自分たちの腰のおおいを作った。」(創3:4-7)

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 「善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるその時、あなたは必ず死ぬ」(創2:17)と神はアダムに仰った。
 その実について、蛇がエバをそそのかしているのが、上の聖書箇所。

 「あなたがたの目が開け、あなたがたが神のようになり」。
(新共同訳や口語訳は、ニュアンスが違う。)

 神のように……、私は目を覆う。
 これは、罪 ( sin ) の言い換えだ。
 人間は畢竟、「神のように」を指向する動物だ。
 そして、人に「死」が入った。神の仰ったとおりだ。

 人間から「神のように」は、消えない。
 どうしたって、そこを指向する。
 ただ、「神のように」が赦される。
 消えないままに、赦される。
 いうまでもなく、イエスの十字架の死と復活によって。
 そのことは、ここ一週間、書いてきた。
 パウロは次のように書いているが、そうだと思う。

 「すなわち、アダムにあってすべての人が死んでいるように、キリストによってすべての人が生かされるからです。」(1コリント15:22)

 「聖書に「最初の人アダムは生きた者となった。」と書いてありますが、最後のアダムは、生かす御霊となりました。」(1コリント15:45)
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