報酬

 「働く者のばあいに、その報酬は恵みでなくて、当然支払うべきものとみなされます。
 何の働きもない者が、不敬虔な者を義と認めてくださる方を信じるなら、その信仰が義とみなされるのです。」(ローマ4:4-5)

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 仕事をして報酬を得るというのは、単に当たり前のことであって驚くことなどではない。
(振込額が不正に少ないという驚きがある世の中なのだが。)

 ところが、こういう報酬があるという。
 仕事も何もしていないのに、あなたはそれでいいんだ(義)と認めてくれるという報酬。
 しかも、この報酬を受ける理由が、仕事も何もしていないことそのものにあるのだ。
 仕事も何もしていない自身を義と認めてくださる方(イエス)がいらっしゃる、そのことを「信じる」ことが、唯一の条件。
 簡単なようで至難の業だ。

 「仕事も何もしていない」というのは、この世における比喩。
 「あなたはみじめきわまりないが、みじめなままでいいんだと心底分からせてくれる神を信じなさい。そう信じることが義なのだ」ということだ。
 重ね重ね、「信じる」ということは難しい。
 その報酬がこれだけ大きいのも、道理だ。
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