約束の成就

 「あなたは心のうちで、「この私の力、私の手の力が、この富を築き上げたのだ。」と言わないように気をつけなさい。
 あなたの神、主を心に据えなさい。主があなたに富を築き上げる力を与えられるのは、あなたの先祖たちに誓った契約を今日のとおりに果たされるためである。」(申8:17-18)

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 「富」と限定してしまうと非常に狭くなるので、「為すこと」と、かなり広く捉えてみることにする。
(為すことを無事為し終えたときに得る報酬、その蓄積が富である。)

 「為すこと」を無事やりとげること、それをやり遂げるために与えられた力量、時間、助け等。
 これらは全て、いにしえからの神の約束によって与えられたものだ。
 それ以上でもそれ以下でも、ない。

 これを、自らの力量でやりとげたんだと思いこみ、「自らの力」(そんなものは、ほんとうは存在しない「影」のようなもの)を誇り出すと、上の聖句にあるように、「この私の力、私の手の力が、この富を築き上げたのだ。」となってしまう。
 そうして天狗の鼻がみるみる高くなり、自分をすっかり見失う。
 最近では、野球・バファローズを解雇された中村ノリに、その典型を見る。
 偉そうに書いている私自身も、実はこのパターンだった。

 「為した」のは神の約束の成就であって、自分の力などではない。
 事が成就したときには、自分にこのことを「為さしめて」くれた神、この方に感謝しよう。
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