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北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

目青不動と目黒不動

2007-10-14 23:32:32 | 東京ウォーク
 さすがに秋らしく気温が低い昨日と今日。昨日は半袖でツーリングをしたところ、帰る頃にはかなり体が冷えてしまいました。
 そんなわけで今日からは長袖で巡ることにします。まだ東京に雪は降りませんからね。

    ※    ※    ※    ※

 今日は五色不動のうちまだお参りをしていない、目青不動と目黒不動にターゲットを絞って、世田谷区から目黒区にかけて走ることにしました。

 いつものように自転車を借りるのに三軒茶屋の駅へ向かいますが、目青不動は東急世田谷線の三軒茶屋駅のすぐ裏にあって徒歩3分という至近の距離にあるお寺でした。その名も竹園山最勝寺 教学院(天台宗)とのこと。

 境内の不動堂はあんがいこぢんまりとしていて、青目不動と書かれた提灯がなければ見逃しそうなくらいです。

  

 このお寺は、元々は江戸城内に建てられたものが巡り巡ってここに移ってきたのだそう。お寺も火事やその他の事情で結構動いているものなのです。とりあえずこれで五色不動のうち4つの色まで巡ることができました。残るは目黒不動だけになりました。

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 さて、しかしそこからまっすぐ行くのももったいないので、今までにまだ回っていないところを遠回りで巡ってみることに。

 (そういえば、以前等々力渓谷の横の野毛に住んでいたときに、九品仏にも行かなかったなあ)と思い出して、九品仏こと浄真寺へ向かってペダルを漕ぎ出しました。

 上り下りの坂を越え、やってきました九品仏。ここはもともと吉良氏の奥沢城だったとのことですが、延宝6(1678)年に、珂碩上人(かせきしょうにん)がこの地に浄真寺を開山し、今に至っているとのこと。

  

 ここには本堂の対面に阿弥陀如来の像が三体ずつ安置されている阿弥陀堂が三つあり、全部で九つの阿弥陀如来像があります。阿弥陀堂は上品(じょうぼん)、中品(ちゅうぼん)、下品(げぼん)の三つで、それぞれに上生(じょうしょう)、中生(ちゅうしゅう)、下生(げしょう)の三つの印相があって、全部で九つの組み合わせになります。
 この九体の如来像が九つの印相をしていることから九品仏と呼ばれているのだそう。

  

  

 印相というのは、阿弥陀如来像が座禅を組みながら形作っている腕や指の形が微妙に違うだけで、一見同じに見えますが実は微妙に異なっているのです。

 その違いに一体どういう意味があるのかは私にもよく分かりません。しかし、境内の広さと樹木の大きさ、しっとりと落ち着いたたたずまいなどは、多くの人の崇敬を集めている様子がよく分かります。

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 やがてやっとのことで目黒不動へ到着。ここは台地上の地形の上にあるお寺なので、長い階段を上がってお参りをすることになります。ちょうどお坊さんの一団が護摩を焚くのに本堂へ向かって行くところが撮れました。

  

 ここ目黒不動は、江戸の三大富くじの場としても有名でした。幕府から寺社への補助金が減ったために、寺社が修理費を工面するために始めた富くじですが、その初めは享保15(1730)年に京都の仁和寺が初めてだったとか。

 やがて江戸ではここ目黒不動と湯島天神で文化9年(1812)年に始まり、文化14(1817)年に始まった谷中の感応寺(今は名前を変えて天王寺)の三つは『江戸の三富』として有名だったのだそうです。

 娯楽の少なかった江戸っ子にとって、目黒不動詣ではそれだけでも楽しみだったはずで、さらにそれに富くじが加わったとすると、賑わいもひとしおだったことでしょう。

 もっとも『目黒へ行く』と称して、そのまま品川宿の飯盛女目当てに足を伸ばす旦那も多かったようですが。

     一の富 どこかの者が 取りは取り   (誹風柳多留)

 そういえばオータムジャンボ宝くじも販売中。誰かには当たっているはず。縁起を担いで買ってみようかな。
 宝くじに縁のある神社は小伝馬町にあるんですよ。その話題はまたいつか書くことにいたしましょう。
コメント
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