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北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

相撲の魂

2007-10-13 23:50:00 | 東京ウォーク
 私のブログの、昨日のアクセス数が普段の2倍の300近くになっていました。「何かの間違いか?」と思いましたが、ネタが内藤vs.亀田モノだったためか、と思い至りました。

 普段は私のブログなどにたどり着かないような多くの人たちが、「内藤大介」や「亀田大毅」でブログを検索して記事を探して歩いたのでしょうね。いかに「内藤vs.亀田」戦がホットなネタか、ということでしょう。マスコミには取り上げられないような庶民の意見がブログには充ち満ちています。
 亀田サイドを持ち上げた某局には相当批判が集まっているようですね。

    ※    ※    ※    ※

 さて今日は隅田川の川向こう、北の向島から南の深川方面までぐるりと一巡り。自転車にしては結構距離があって、さすがにくたくたになりました。

 今日の旅の後半は深川の富岡八幡宮に到着です。ここは江戸で一番の八幡宮として崇敬されていて、さらにこの神社は勧進相撲発祥の地として知られています。

  


 相撲の興業は、京都と大阪から始まったらしいのですが、しばしばトラブルが起きて禁令も出されたのだそう。それが貞享2(1684)年の秋に、ここ富岡八幡宮の境内で相撲の興行が許されました。以来、この地で春と秋の勧進相撲が行われ、その間に番付や興業の形態が確立したといいます。

 そういうご縁があって、ここ富岡八幡宮には横綱力士碑と大関碑があります。

  

    

 横綱力士碑は、明治33年に第12代横綱である陣幕久五郎を発起人にして歴代横綱を顕彰するために建立されています。碑の裏には石板があって、横綱白鵬までの全ての横綱の中が刻まれています。
 新横綱の土俵入りも奉納されるそうですよ。

 やがて勧進相撲は近くの回向院に移って行き、天保4(1833)年からは回向院が春秋二回興業の定場所となりました。ここでの相撲興行は明治42年に旧両国国技館ができるまで76年間続いたといいますから、相撲は江戸時代を通じてここ深川で育まれたのです。

 ちなみに、この富岡八幡宮には大測量家伊能忠敬が測量の旅に出る際に必ず旅の無事を祈願してから出かけたという話が伝わっていて、それをたたえる人たちによって忠敬の像が建てられていました。
 北海道の測量もここから旅立ったのだそうですよ。

  

    ※    ※    ※    ※

 そして富岡八幡宮の後は回向院へ向かいました。

 回向院には明暦3(1657)年の大火による焼死者・水死者をはじめとした牢死者などの供養のために建てられた供養塔があります。ここもやっと来ることができました。

  

 ちなみにここ回向院には鼠小僧次郎吉の墓もありました。いろいろと魂のこもる場所であります。

  
コメント (2)
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