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北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

戦略的である、ということ

2007-10-27 20:56:58 | Weblog
 関東沖に台風が近づいているのだそうで、朝から暴風雨。さすがに外出は控えて家仕事です。

中国へ行っている知人に、中国と日本の間で、ものの考え方の違いについて訊いてみたところ、こんなコメントが返ってきました。

    ※    ※    ※    ※

中国について、次の3つを感じています。
1)戦略好き。
2)追い込まれることを嫌う。常に選択の余地を残したがる。広く布石を打つことを好む。
3)『原理原則』は曲げない。しかし、『暫定措置』により大胆な妥協をし、新たな状況に対応する。先送りに利があると思えば、大胆に先送りする。

こんな気風が国家としての意思のようなものを強く感じさせることにつながっているのだと思います。

    ※    ※    ※    ※

 なるほど、長い歴史を経て蛮族の侵略を受けながら歴史を刻み、人間力を磨いてきた国のお国柄はこういうところに現れるようです。

 戦略的とはどういうことか、ということについて友人との会話。

「戦略的というのはどういうことなのかな」と知人。
「うーん、たとえば電車で席が空いていれば座る、ということではないかな」

「それはどういう意味?」
「次の駅でお年寄りや障害のある人が乗ってくるとするだろう。そんなときに座っていれば席を譲ることができるじゃないか。席が空いているのに自分は我慢して立っていると、若い学生さんに座られてしまったり、ということは良くあること。そんなときに心の中で(この子が席を譲ってくれないかなあ)と思ったり、『席を譲ったらどうだい』と言っても、そうなるとは限らないだろう」

「そうだな」
「でも自分が席に座っていて譲ることができる立場にいれば自分の意思の通りになるものだ。戦略的な立場にいるということは、自分が思うとおりになるような立場にいるという事だと思うよ」

 ちょっとしたことにすぐ抗議をするというのも、それで相手が消極的になるのなら意味があるというもの。

 日本人の国民性は「武士道」が好きで、一度原則を決めたらそれに合わないことをヒステリックなまでに原則に合わせようと追求しようとするところがあって、戦略的な思考や行動が苦手のように思います。

 もう少し視野を広げることが大事なのではないでしょうか。
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うれし泣き

2007-10-27 01:23:03 | Weblog
 午後になって、普段は電話などかけてこない長女から携帯に電話が。

「もしもし、お父さん?」
「おう、どうした」

「試験に受かってた…」
「お~、そうか…、良かったなあ」「うん…(TーT)」

 娘に就職採用試験の合格通知が来たのでした。電話の向こうはもう涙声です。

「お母さんには?」「今電話した」

 私の方は、唐突な知らせだったので、(こういうときはやっぱり父親より先に母親に電話をするもんなんだな)などとなぜか変なことを考えていました。

 娘の試験は一次試験があまりよくなくて、半分あきらめていた時期もあったのですが、なんとか二次試験にたどり着いて、今日はなんと嬉しい合格の知らせです。よかったなあ。

 娘の場合、一時学校へ行けない時もあっただけに、そのときのことを思うと今こうしていることが夢のようです。思い返せば随分たくさんの人に支えてもらいました。そういうたくさんの人への恩返しができるスタート台に立てたということでしょうか。

 心配してくれる人、手をさしのべてくれる人、遠くから見ていてくれる人…。そういうたくさんの人の縁のおかげで今こうしていることができる。そうした人たちへの感謝を忘れずにいて欲しいと思います。

 私からもお礼を申し上げます。ありがとうございました。
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