今日は一日霧雨です。どうやら明日からは晴れるようで、週末の催しも大丈夫のようです。
さて今日は、
■七月七日という日は の1本です。
【七月七日という日は】
今日は七月七日。一般的には七夕(たなばた)といって織り姫星と牽牛星が一年に一度出会う日、とされている。
まあこれは中国の伝説であって、実際に星同士が近づいたりする事がないのは言うまでもない。
織り姫星は星座では琴座にある一等星で英名はベガと言い、見かけの明るさは0.03等ということになっている。一方の牽牛星はわし座のアルタイルというやはり一等星で、見かけの明るさは0.93等ということで、夜空を見上げていると、織り姫星の方が力強く明るく見える。
女性の方が力強いのはこういうところにも現れているようだ。
日本では今日の七月七日は五節句の一つとされている。五節句というのは案外日本人でも知らない人が多いけれど、人日・上巳・端午・七夕・重陽の五つの日である。
人日は1月7日、上巳は3月3日、端午は5月5日、七夕は7月7日、重陽は9月9日のことで、江戸幕府の初期の頃にこの日には上長の家に祝賀に行くべきものと定められたのだそうだ。
節句は「句」という字を当てる事が多いが、もともとは「節供」と書くのが正しい、と柳田国男さんの「年中行事覚書」には書かれている。「供」と書くからにはお供えをするという気持ちだったのであって、この日は目上の人の家に行き同じものを皆で分かち合って食する事でお互いの関係性を高めるという古い信仰があったのだろうと言われる。
お互いが同じものを分かち合って飲んだり食べたりしなくては気持ちが一つにならないというのは、誰から教えられたわけでもないけれど、サラリーマンが徳利で酒を差しつ差されつすることでコミュニケーションが高まる事をどこか期待するという心根として今でも残っている様な気がする。
民俗学的に言うと節供は、これらのような一つところに集まって同じものを食べるという行動を年中行事として定め、ある意味では習わしとして強制するようなものだったらしい。
一説によると、幕府が各藩の様子を調べたときに人日と七夕だけは地方ごとに風習がバラバラであまりにも統一が取れなかったので、逆にこの日に決めてしまったという話も伝わっているようである。
節供は「めでたい」もので、なぜ「めでたい」かと言うと、もともと「めでたい」というのは、「好ましい、人々が一同に集まってイワイ(この場合は神を祀る厳粛な気持ち)をしている状態を互いに言い表す言葉だったから」である。
「おれにはめでたくない」という主観的なものではなく、そう言う状態をめでたいといったのだから、正月や節供はやはりめでたかったということのようである。
* * * *
自分の属する組織の祝い事や行事に参加をしないと言う事は、このようなめでたさを共有出来ないという事を意味していて、やはり協調性という価値観をどこかで共有できていることが組織としての強さなのだろうと思う。
周辺の人たちの協力がなくては何もできなかった昔だからこその価値観でもあるのだろうが、今は欲しい協力をお金で買えるような経済が肩代わりをする時代になってしまった。
しかしそれで自分のまかなえるお金でそういう協力サービスが変える時代はまだ良かったが、これがまかなえない人が増えてきたために行政として「社会化」してしまい、行政サービスに組み込んできてしまった。
介護、子育てなども、自分でもできずお金でも買いきれない高いサービスとなってしまったが、そのツケが結局は国と地方をあげての借金なのであって、自分でできる事を自分でやり、地域ができる事は地域が助け合って行うという共助の精神も今ではすっかり廃れてしまった。
そういう社会にあっては、協力をしなくては協力をしてもらえない関係であったので、地域の中での関係性が極めて重要だったのだ。
今ではそれらをお金がそれらを媒介しているが、金ではあがないきれない社会になっているという社会の風向きの変化を感じなくてはいけないんだろうな。
人に嫌われて平気でいられない自分というのは、とにかく強い生き方をしていないのか、社会ネットワークを信じているのかのどちらかなのではないかと思っている。
社会の力が信じられますか?
(参考:柳田国男著 「年中行事覚書」講談社学術文庫)
さて今日は、
■七月七日という日は の1本です。
【七月七日という日は】
今日は七月七日。一般的には七夕(たなばた)といって織り姫星と牽牛星が一年に一度出会う日、とされている。
まあこれは中国の伝説であって、実際に星同士が近づいたりする事がないのは言うまでもない。
織り姫星は星座では琴座にある一等星で英名はベガと言い、見かけの明るさは0.03等ということになっている。一方の牽牛星はわし座のアルタイルというやはり一等星で、見かけの明るさは0.93等ということで、夜空を見上げていると、織り姫星の方が力強く明るく見える。
女性の方が力強いのはこういうところにも現れているようだ。
日本では今日の七月七日は五節句の一つとされている。五節句というのは案外日本人でも知らない人が多いけれど、人日・上巳・端午・七夕・重陽の五つの日である。
人日は1月7日、上巳は3月3日、端午は5月5日、七夕は7月7日、重陽は9月9日のことで、江戸幕府の初期の頃にこの日には上長の家に祝賀に行くべきものと定められたのだそうだ。
節句は「句」という字を当てる事が多いが、もともとは「節供」と書くのが正しい、と柳田国男さんの「年中行事覚書」には書かれている。「供」と書くからにはお供えをするという気持ちだったのであって、この日は目上の人の家に行き同じものを皆で分かち合って食する事でお互いの関係性を高めるという古い信仰があったのだろうと言われる。
お互いが同じものを分かち合って飲んだり食べたりしなくては気持ちが一つにならないというのは、誰から教えられたわけでもないけれど、サラリーマンが徳利で酒を差しつ差されつすることでコミュニケーションが高まる事をどこか期待するという心根として今でも残っている様な気がする。
民俗学的に言うと節供は、これらのような一つところに集まって同じものを食べるという行動を年中行事として定め、ある意味では習わしとして強制するようなものだったらしい。
一説によると、幕府が各藩の様子を調べたときに人日と七夕だけは地方ごとに風習がバラバラであまりにも統一が取れなかったので、逆にこの日に決めてしまったという話も伝わっているようである。
節供は「めでたい」もので、なぜ「めでたい」かと言うと、もともと「めでたい」というのは、「好ましい、人々が一同に集まってイワイ(この場合は神を祀る厳粛な気持ち)をしている状態を互いに言い表す言葉だったから」である。
「おれにはめでたくない」という主観的なものではなく、そう言う状態をめでたいといったのだから、正月や節供はやはりめでたかったということのようである。
* * * *
自分の属する組織の祝い事や行事に参加をしないと言う事は、このようなめでたさを共有出来ないという事を意味していて、やはり協調性という価値観をどこかで共有できていることが組織としての強さなのだろうと思う。
周辺の人たちの協力がなくては何もできなかった昔だからこその価値観でもあるのだろうが、今は欲しい協力をお金で買えるような経済が肩代わりをする時代になってしまった。
しかしそれで自分のまかなえるお金でそういう協力サービスが変える時代はまだ良かったが、これがまかなえない人が増えてきたために行政として「社会化」してしまい、行政サービスに組み込んできてしまった。
介護、子育てなども、自分でもできずお金でも買いきれない高いサービスとなってしまったが、そのツケが結局は国と地方をあげての借金なのであって、自分でできる事を自分でやり、地域ができる事は地域が助け合って行うという共助の精神も今ではすっかり廃れてしまった。
そういう社会にあっては、協力をしなくては協力をしてもらえない関係であったので、地域の中での関係性が極めて重要だったのだ。
今ではそれらをお金がそれらを媒介しているが、金ではあがないきれない社会になっているという社会の風向きの変化を感じなくてはいけないんだろうな。
人に嫌われて平気でいられない自分というのは、とにかく強い生き方をしていないのか、社会ネットワークを信じているのかのどちらかなのではないかと思っている。
社会の力が信じられますか?

(参考:柳田国男著 「年中行事覚書」講談社学術文庫)