ネットの『PRESIDENT Online』というサイトに『「若者は10分間のYouTubeすら耐えられない」加速する"可処分時間レース"の行き着く先』(https://president.jp/articles/-/55624)という記事がありました。
記事の大まかな趣旨は、
①演劇のような舞台芸術は客層が高齢化していて、若者が少なくなっているという危機感がある。
②長時間かけないと消費できないコンテンツは現代の若者のライフスタイルに合わなくなり、高齢者の娯楽になりかけている。
③若者は、学業や仕事のかたわら、大量にアップされる各種のコンテンツを消費しておかないと周りとのコミュニケーションについて行けなくなっている。
④動画サイトYouTubeで30秒から1分間の「ショート動画」という短い動画が好まれていて、10分のコンテンツは人気がない。
⑤つまり今の若い世代は、効率性・生産性・合理性を求める時代精神を生きていて、短時間で消費できるコンテンツが台頭しているのはその時代精神のシンボルだ。
…というもの。
記事の書き主である文筆家・ラジオパーソナリティーの御田寺 圭さんは最後に、「こんなラットレースにはいずれ揺り戻しが来る」と見ていて、「揺り戻しがやってきたときに受け皿が消滅しているのではどうしようもない。ひとりでも多くの人が『ゆっくりと生きてもよい』ときづくためには、演劇をはじめとする文化や芸術は不可欠になる」と結んでいます。
今や「スローライフは高齢者のライフスタイルか」と思わずにはいられません。
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私が静岡県掛川市の助役として迎え入れられた2002(平成14)年に、当時の榛村純一市長さんから最初に言われたミッションが「スローライフをやってほしい」ということでした。
「スローライフって何ですか?」というのが私の最初の質問で、それに対して榛村さんが明確に答えを持っていたわけではなく、ただこれまでの「早く、安く、便利、効率」を追求し急ぎ過ぎてきた社会へのアンチテーゼとして、元朝日新聞におられた川島正英さんのアドバイスによる"スローライフ"という単語が心に引っかかっていて、その波が次に来る、という時代の直感でした。
榛村さんはスローライフをそれまで培ってきた掛川の『生涯学習の帰結』と位置付けて、一人ひとりが学びをつづけて気がつくべき人生哲学を集約。
それがスローペース・スローウェア・スローフード・スローハウス・スローインダストリー・スローエデュケーション・スローエイジングという7つのテーマと、これらを総合した生活哲学としてのスローライフという全8テーマの提案となりました。
そしてそれらを当時の日本社会に花火として打ち上げ、スローライフ月間と称して一カ月にわたりゲリラ的なイベントを市内で行い、毎週末に学者先生やマスコミなどから著名な人たちを迎え入れたシンポジウムなどを行い、大きな話題になったものです。
しかしスローライフというのはまあ行ってみれば「こうしようよ」という一種の社会運動なわけで、行政としてやれるのはせいぜいイベントまで。
ここまで火を着けた市民を上げた社会運動をどう継続させてゆくのかについては、考えられていなくて、まあ収め方のイメージがなく始めちゃった戦争みたいな感じでした。
で、当時それを主導して矢面に立った私は一緒にやってくれた熱心な人たちから「助役さん、来年はどうするね?」と言われたものの、市が予算を取っているわけでもありません。
いろいろと紆余曲折があって、3年目にNPO法人スローライフ掛川が立ち上がり、それが市民活動の受け皿となるように落とし込んだのですが、今振り返ると楽しい思い出でした。
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それにしても冒頭の記事を読めば、スローライフが今や高齢者のものになりかけているというのはある種の納得。
全てはコンテンツがいつでもどこでも手に入るスマホのせいのような気がしますが、それが続く限りゆりもどしがあるかどうか。
逆に高齢者もショートコンテンツの嵐に翻弄されてゆくような気がします。
さて、そんなわけで昔の掛川の友人たちに会いに4月の末に掛川旅に向かう計画を立てました。
思い出のある町がどんなふうに変わり、あるいは変わっていないのかの定点観測が今から楽しみです。