中学校1年生の時に天体望遠鏡が欲しくてたまらなくなり、10月から新聞の夕刊配達のアルバイトを始めました。
約120部の夕刊を日曜以外は配ってアルバイト料は一か月4千円。親の転勤で結局半年しかできなかったのですが、貯まった小遣いが2万4千円。
欲しかった望遠鏡は3万円でちょきんはまだ足りません。
すると、望遠鏡が欲しくてアルバイトまでしているということを知った祖父母が7千円のお小遣いをくれて支援してくれて、それで買うことができ、それが今でも強烈な思い出になっています。
もう使わなくなったころに友人に譲ってしまった天体望遠鏡ですが、今ならもっと優れた性能のモノが安く買えそうです。
大人買いしても良いのですが、どれくらいつかうのかと逡巡しています。
欲しかったものが手に入って天にも昇る心地になった思い出ってあるでしょうか?
◆
先日わが家へ遊びに来た小学校3年生の孫のYスケが「これ見て!」と真っ赤なドラゴンの人形を取り出しました。
「すごいなあ、これどうしたの?」
「映画館で買ったの」
父である婿さんに聞いたところ、「札幌ファクトリーの映画館で映画を見た帰りに、レゴショップに立ち寄りました。そうしたらこれが飾られていて、『欲しい』と言い出したんです。『レゴだから自分で作るんだよ』『お金は自分の小遣いで買うんだよ』と言っても、『欲しい、買いたい』というものですから、『じゃあいいよ』と認めたというわけです』
「ふうむ、ちなみにおいくら?」
「それがですねえ、9千円くらいの値札だったんです。Yスケはお年玉とかお小遣いを貯めているのが3万円くらいだと思って、内心(結構な買い物だな)と思いました。ところがその商品をレジへ持って行くと、レジの担当者が『あれ?ちょっとお待ちください…』と何やら調べていて、『すみません、値札が間違っていました。5千400円でした』というので、覚悟していた金額よりは少なく済んで得をした気分です」
子供の時って、内心本当に欲しくてたまらないけれど、小遣いが少なくて買えなかったり、逆に「買いたい」と言っても親から「高すぎるから認めない、すぐに飽きるんだから」と子供の自主性を奪いかねない親もいそうです。
今回は「それが子供の意思だから」と買うことを認めたとは我が子夫婦ながらなかなかできた両親だなあ、と感心した次第。
そもそもこのドラゴン、レゴのパーツを組み立てて自分で作るのですが、「自分で作れたの?」と訊くと「うん、説明書を見ながら作れたよ」と涼しい顔。
ドラゴンに付属の人形キャラクターを使いながら一人遊びで悦に入っておりました。
改めて、子供の時には買って、今でも覚えているようなものって何でしょう。
無駄遣いと、喜びを手に入れる消費とは違うんです。
欲しいものを手に入れる喜びを演出してあげるのも親の上手な教育なのかもしれませんね。