小学校の4年生か五年生の時に、親に道内のどこかの観光地に連れて行ったもらったことがありました。
展望台か何かの施設にいったときのこと。今でもきっとあると思うのですが、その場所を記念する金属製のメダルが売っていました。
メダルの自動販売機の横に、ちょっとお金を出すと数字が刻印できるという装置があったのですが、小遣いで私が打った数字は自分の誕生日の日付でした。
今ならば、それは旅行をした記念の日を刻印すると思うのですが、子供だった私は(一体何の日付を打つのだろう?)ということが分からなかったのです。
子供であるがゆえに日付を打つことの意味が分からなかったというのは、『今日この場所にいること』意味やありがたみが分からなかったわけで、おそらくそれは、人生のこの先無限にある時間や可能性に比べて、イマココの意味が小さくてわからなかったからなのではないか、とも思うのです。
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歳とともに人生の残り時間が少なくなると、改めてイマココの大切さがわかるようになってくるのですが、それは必ずしも良い思い出ばかりではなく悲しかったり後悔だったりすることもあります。
11年前の今日は東日本大震災が発生した日。
地震発生の瞬間は釧路市役所にいて市長らと打ち合わせの最中でした。
すぐにテレビをつけたところ、太平洋沿岸に大津波警報が発令されていてそこには釧路市も含まれていました。
結果的に釧路に到達した津波の高さは2mで、幸いなことに死者はゼロでしたが釧路川沿いの家屋や施設の一部に浸水の被害が発生し、もっと大きな津波だったらどうなったろうという恐怖を感じずにはいられませんでした。
先日NHKニュースで、『東日本大震災11年 津波避難ビル・タワー整備 費用が課題』という報道があり、震災後に全国で整備が進んだ津波避難タワーとビルの数は1万5806基で、このうち道内は601基にとどまっている、とのことでした。
https://www3.nhk.or.jp/sapporo-news/20220311/7000044305.html
NHKが日本海溝・千島海溝沖地震による津波で浸水が予想される道内の39の自治体に取材したところ、「財政面の課題があると回答したのが6自治体、「整備するのに適した場所がない」と回答したのが3自治体、「財政と場所の両方が課題」と回答したのが22自治体、「課題はない」と回答したのが7自治体となり、およそ74%の自治体で費用面が課題となり、津波避難タワーとビルの整備を進めることが難しい現状だとのこと。
3月11日が近付くたびに警鐘は鳴らされますが、一方で恐怖や使命感のようなものが時とともに風化していってはいないか、という心配もあります。
ひとたび津波の被害にあうと、財産の保証も不可能でせめて命だけでも救いたいと思います。
本州は長い歴史の中で津波被災の歴史の記録などが残っており、地域の歴史に刻まれている事例が多いのですが、まだ開拓されてから150年ほどの北海道ではそうした記録がなく、科学者の地道な調査によって初めて、太平洋岸では500年に一度のペースで
大津波が発生しているということがわかりました。
【ブログ参照】
「釧路には500年に一度の津波が来る、の根拠」(2011-04-08ブログ)
https://blog.goo.ne.jp/komamasa24goo/e/14edbda3c7668251bbb2379fd64ff2fc
被害を軽減させるためには、やはり避難インフラの整備に代わるものはありません。
記憶を風化させずに、地道な取り組みが求められます。