先日、ある建設会社の安全担当の方とお会いする機会がありました。
いろいろと世間話をしたところでその方は、「実は私、今は職場の安全を担当していますが、本当は営業をやりたいんですよ」と言いました。
「私もわが社の製品を売り歩いているという意味では営業なんですが、大変じゃないですか?」と言うと、「いえ、本当は人に会って笑わせたりもしたいんです」と目を輝かせています。
私も「そう、やっぱり営業は対面で会うことできっかけができて、そこから人となりが分かってくる、ということが大事ですからね」と応じます。
彼は「私は人に会うときは笑っていたいんですが、今の安全を守るという立場ではそうは行きません。やって当たり前のことを誉めることもありますが、その一方で常に厳しく、一罰百戒、失敗とか守れていないことを叱って歩かないと行けないんです。それって私の本意ではないのですが、安全のための義務とかルールはそうやってやらせないと行動に繋がらないのです。実に不本意です(笑)」
叱るのが仕事というのは、下の者から見ると(権限を笠に着ていやがる)と煙たがられたり、気楽だと思われたりするものです。
しかし、形だけの安全行動ではなく、一人ひとりが心底(安全は大事だ)と思わせるようにするのはこれまた大変な努力です。
人に範を垂れるには、自分はそれ以上に身を律しなくてはなりません。
笑う仕事もあれば、叱り続けるのもまた仕事。
仏像の不動明王は、仏さまには珍しく憤怒の形相で参詣者を見下ろしています。
その憤怒相は、仏教への敵対者に対する威嚇でありまた同時に、迷える衆生に対する叱咤
の意味もあるといいます。
厳しく当たる温かい心が必要です。