ちょっと前の記事ですが、東洋経済オンラインに『何のためにスポーツをするかが重要だ』という記事がありました。
http://toyokeizai.net/articles/-/88580
イングランドで開催されたラグビーワールドカップで日本が大活躍した余韻を残している頃で、日本ラグビーチームのヘッドコーチを務めたエディ・ジョーンズさんが、日本のスポーツが持つ独特の雰囲気について感じていることが印象的でした。
エディーさんは「日本では高校、大学、トップリーグでも高いレベルでパフォーマンスする指導ができていない。規律を守らせるため、従順にさせるためだけに練習をしている。それでは勝てない」と言っていたというのです。
この記事の筆者の酒井政人さんも、「箱根駅伝の有力校にいながら、選手自身の意識はあまり高くなかった」と感じていたそうです。
さらにある指導者は、高校から大学の監督に転身して、選手たちの“受け身”の姿勢に驚いたといいます。
「スポーツを怒られながらやるというのは、日本独特の風土じゃないかなという気がします。必要以上に怒る指導者もいるので、監督やコーチの顔色をうかがいながらやる子が多く、怒られないようにやることが競技観になっている選手がいるんです。…大学でも指導者の顔色をうかがっている選手がいて、特に名門校の卒業生に多い印象です。それで、怒られないことがわかると、どう頑張ったらいいのかわからなくなってしまうんですよ」
筆者は「何のためにスポーツをするのか、その意味を考えることが大切なのではないか」と問いかけます。
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仕事も実に似たようなところがあります。よく怒る上司がいると部下は"怒られないことが目的"の仕事をするようになります。怒られさえしなければ良くて、びくびくしながら過ごすという仕事の仕方は意欲が湧かないし生産的ではありません。規律を守るのは良い仕事をするための手段であって目的ではないのです。
そして着実な成果を求めるのと同時に、共に仕事をする仲間とともにお互いが仕事を通じて達成感や成長を感じられることも必要ではないでしょうか。
何のために仕事をするのか、皆が司司(つかさつかさ)で仕事をしながら何を最終のゴールとしているのかを折に触れて見定めていたいものです。