北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

会わないか、おごるよ

2012-02-07 23:45:00 | Weblog
 朝から東京出張。釧路空港は季節はずれの霧で出発が三十分近く遅れましたが、なんとか会議には間に合いました。

「会議が終わった後で飯でも食べないか、驕るよ」と東京で一人住まいの娘に連絡してみたところ、「おー、いいよ。どこにする?」と大乗り気。

 会議が長引いてちょっと遅くなりましたが、JR中央線の小さな駅で待ち合わせて居酒屋へと繰り出しました。

 正月以来だけれど、子供なんてちょっと会わずにいるとどんどん成長してしまうもの。人には会える時に会っておかないといけないと思うようになりました。


    ※    ※    ※    ※


 娘と笑い話に話を咲かせる一方で、自分が一人で旭川に下宿していた時のことを思い出しました。

 中学時代を旭川で過ごして旭川の高校に入った私でしたが、二年生になるときに、父親が稚内に転勤になったのでした。

 当時は単身赴任ということが一般的ではなかったのでしょう、両親と弟たちは稚内へ引っ越して、高校にそのまま通う私は二年生の時から旭川で下宿をすることになりました。

 そんな下宿の生活が続いていたある日、稚内にいるはずの父から下宿に連絡がありました。

「『お父さんが出張で旭川に来ているから会いに行くよ』と言っていた」とのこと。

 久しぶりに会った父と四方山話をするうちに、「寿司でも食べに行かないか」と誘われました。

 しかしその時、お腹が空いていなかったのか、小遣いが乏しかったのか、私は「いや、それより小遣いの方が良い」と言ってしまいました。

「そうか、はは。小遣いの方が良いか」

 そう言うと父は五千円を私の手に握らせてくれて、別れていきました。

 その後ろ姿がどこか寂しそうだったのを今でも覚えているのは、その瞬間に出はなく、後からじわじわと私の心に「しまった!」という罪悪感が生まれてきたからに違いありません。

(きっと親父は僕と飯を食べて話をしたかったんだな…)
 
 あの日のことを親父はまだ覚えているでしょうか。

 実家をたまに訪ねることがありますが、このことは心が苦しくていつも訊けずにいる問いなのです。


    ※    ※    ※    ※


「あー、美味しかった、ありがとう。じゃ、またね」

 そういって娘は中央線に乗り込んでいきました。

「またな、うん、きっとまた来るよ」


 東京の雨はいつの間にかあがっていました。
     
コメント (2)
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