今日は小正月。旧暦の頃は満月を一つの目印にして民間の正月を祝ったのだそう。
新暦になって夜に空を見上げる必要が無くなりました。
【民間伝承の心】
歩く民俗学者宮本常一さんの「ふるさとの生活」(講談社学術文庫)を読んでいたら、日本海の沿岸地方では正月十四日を「ヨイザツキ」、十五日を「サツキイワイ」と言っているところがあって、この日に田植えの真似をする風があるのだ、と書かれていました。
正月番組はどの民放放送局も、お笑いと漫才のオンパレードだったような気がしますが、かつての「万歳(まんざい)」は、お正月に鼓を打ってやってくるものでした。
もとは田植えの真似をして家々を祝福して回ったものが、だんだんに楽しませるところだけを専門にするようになったのがお笑いの漫才につながって来たのでしょう。
宮本常一さんにも万歳について子供の頃の思い出があるそうで、それが「ふるさとの生活」に描かれています。
『…私がまだ小さいときのことでした。私の村へも、毎年のようにどこからか万歳が来ました。ある年、万歳が来たのに、家にはだれもいないことがありました。
私は困って、親類の人からもらって大切に持っていた十銭の硬貨をやりました。そのころの十銭は大金だったのです。
すると万歳師たちは、普通なら家の土間でつづみを打って唱えごとをして帰るのですが、その日は座敷へ上がって、踊ったり田植えの真似をしたり、面白いことを言って笑わせたりしました。私は座敷のすみに立って、半分は面白く、半分は何か悲しいような気持ちで見ていました。
長い間踊ったりうたったりしたその人たちは、やがて出て行きました。そのことは、家のだれにも言いませんでした。大方の家が一銭か二銭やっているのを、十銭もやったのですから、何か悪いことをしたような気もしたのです…』
大人がいないときの来客に精一杯の対応をした子供の幼心が哀愁を持って描かれていますね。また、こんな記述もありますよ。
『正月十五日には、おかゆを炊いて食べることが各地に行われていますが、このとき、そのかゆをかきまぜるために、長い箸をつくります。「カユカキボウ」といっているところがたくさんあります。このはしでかゆをかいてあげたとき、はしにかゆつぶがたくさんついておれば豊作だと言われています。それがまた、神社の神事になっているところもたくさんあります』
なぜこの日にかゆを食べるのかについては、著者の宮本常一さんも、「よく分からないが、きっと深いわけがあるのでしょう」と書いています。
豊作を願う庶民の切ない願いがなにやら込められているようです。
* * * *
サツキイワイで思い出しました。宮本さんの別な著書「女の民族誌」(岩波現代文庫)には、こうも書かれていました。
『五月をサツキと呼び、田植えする女をサオトメと呼び、田植え始めをサビラキ、またはサオリといい、田植え仕舞いをサナブリまたはサノボリというところから見れば、サは稲のことではなく田の神であったらしいのである。サオリすなわち田の神降ろしがあって田植えが始められ、植え終わって神あがりすなわちサノボリがあったのである』
ここでもやはり神様はいつもそこにいるのではなく、どこからか降りてきてまたどこかへ帰って行く存在なのです。
日常のちょっとしたところに神様が生きておって、我々や作物の実りを見守ってくれているような気がしませんか。
新暦になって夜に空を見上げる必要が無くなりました。
【民間伝承の心】
歩く民俗学者宮本常一さんの「ふるさとの生活」(講談社学術文庫)を読んでいたら、日本海の沿岸地方では正月十四日を「ヨイザツキ」、十五日を「サツキイワイ」と言っているところがあって、この日に田植えの真似をする風があるのだ、と書かれていました。
正月番組はどの民放放送局も、お笑いと漫才のオンパレードだったような気がしますが、かつての「万歳(まんざい)」は、お正月に鼓を打ってやってくるものでした。
もとは田植えの真似をして家々を祝福して回ったものが、だんだんに楽しませるところだけを専門にするようになったのがお笑いの漫才につながって来たのでしょう。
宮本常一さんにも万歳について子供の頃の思い出があるそうで、それが「ふるさとの生活」に描かれています。
『…私がまだ小さいときのことでした。私の村へも、毎年のようにどこからか万歳が来ました。ある年、万歳が来たのに、家にはだれもいないことがありました。
私は困って、親類の人からもらって大切に持っていた十銭の硬貨をやりました。そのころの十銭は大金だったのです。
すると万歳師たちは、普通なら家の土間でつづみを打って唱えごとをして帰るのですが、その日は座敷へ上がって、踊ったり田植えの真似をしたり、面白いことを言って笑わせたりしました。私は座敷のすみに立って、半分は面白く、半分は何か悲しいような気持ちで見ていました。
長い間踊ったりうたったりしたその人たちは、やがて出て行きました。そのことは、家のだれにも言いませんでした。大方の家が一銭か二銭やっているのを、十銭もやったのですから、何か悪いことをしたような気もしたのです…』
大人がいないときの来客に精一杯の対応をした子供の幼心が哀愁を持って描かれていますね。また、こんな記述もありますよ。
『正月十五日には、おかゆを炊いて食べることが各地に行われていますが、このとき、そのかゆをかきまぜるために、長い箸をつくります。「カユカキボウ」といっているところがたくさんあります。このはしでかゆをかいてあげたとき、はしにかゆつぶがたくさんついておれば豊作だと言われています。それがまた、神社の神事になっているところもたくさんあります』
なぜこの日にかゆを食べるのかについては、著者の宮本常一さんも、「よく分からないが、きっと深いわけがあるのでしょう」と書いています。
豊作を願う庶民の切ない願いがなにやら込められているようです。
* * * *
サツキイワイで思い出しました。宮本さんの別な著書「女の民族誌」(岩波現代文庫)には、こうも書かれていました。
『五月をサツキと呼び、田植えする女をサオトメと呼び、田植え始めをサビラキ、またはサオリといい、田植え仕舞いをサナブリまたはサノボリというところから見れば、サは稲のことではなく田の神であったらしいのである。サオリすなわち田の神降ろしがあって田植えが始められ、植え終わって神あがりすなわちサノボリがあったのである』
ここでもやはり神様はいつもそこにいるのではなく、どこからか降りてきてまたどこかへ帰って行く存在なのです。
日常のちょっとしたところに神様が生きておって、我々や作物の実りを見守ってくれているような気がしませんか。
