やっと日中の気温が10℃を超えたそうです。今年はこういう暖かさになるのが随分遅かったようです。
周辺の雪を運んだ公園はまだ厚い雪に覆われています。今度の週末にでも雪割りをしたい気分です。
【ある会議と「品格」について】
春の朗報を一つ。某優良企業が社会活動の一環として、21世紀への課題などをテーマとして自由に討論、意見交換をする会議へのお誘い手紙が届きました。
この会議は参加資格があって、30~40代である事と定員があるので50代に突入してこの会の資格を失う枠がある事と、あとは関係の人からの推薦が必要な事などなのです。
会場は伊豆半島の某所で開催は6月上旬です。私の場合、本当は入会資格が45歳以下という条件もあるらしいのですが、今回はかなり大量にOBが出るという事で例外的に認められたようです。
もちろん、私の友人がこの会議に招かれていてその人達からの推薦があっての事でもあるのですが。
メンバーはそうそうたるもので、超優良企業の40代の部長さんだとか、マスコミの面々、某県の知事、中央省庁の課長級、大学教授、かつてのオリンピックアスリートもいます。
こういう人たちがどういう話題を繰り広げてくれるのか、出会いが楽しみです。
* * * *
さてこの会議、毎年一つのお題が与えられてそれを軸に意見が交換されるのだそうです。そして今年のお題はといえば「日本の品格」だそうです。
はてさて、藤原正彦さんの「国家の品格」という新書がたいそう売れているそうですが、そういう観点を30~40代の次代を担うエリートと目されている人たちがどのように語ってくれるのかが楽しみです。
私にも私なりの「品格」への思いがありますからそれを投げかけて反応を見てみたいものです。
品格で言うと、「品」というものをやはり多くの日本人は失いかけているように見えます。「品がない」と注意をする事は野暮なことであるかのようです。
法律に違反していなければ許されるというようなことではなくて、品がなくては好かれない、という価値観が厳然とあるのだ、ということが忘れられています。
子供のときにお習字を習っていた時期がありました。あるとき書くのに失敗した半紙をくしゃくしゃに丸めてぽいと捨てたときに、先生だったおじいさんから「あなたは紙に恨みがあるのかね?」と優しく訊かれました。
多分紙をくしゃくしゃに丸めるという行為は先生には品がなく映ったのだと思います。幼心に「そうだな。紙を丸めて捨てるものではないな」と思った私はそのときから紙を折るか畳むかして捨てるようになりました。
しかしその行為の品格が分かるまでには、そのときから有に30年が経過していたのです。
分かる人には分かるけれど、分からない人には分からない。分かる人が教えてあげなければ分からないのかも知れません。
でもこんな駄文を読んで、はたと何かに気付く人もいるかも知れませんから敢えて書いています。
トイレでエアタオルを使うのは品がありません。大人の常識としてハンカチを一枚持てばよいだけなのです。たかが手を乾かすために電気を使い大きな音を立てる必要などないのです。
自分自身が保てない品格を棚に上げて敢えて言っています。気付いたときには恥ずかしくなって保てるようになるかも知れないからです。
気付いたところから始めたいものです。気付かないのが問題ではあるのですが。
周辺の雪を運んだ公園はまだ厚い雪に覆われています。今度の週末にでも雪割りをしたい気分です。
【ある会議と「品格」について】
春の朗報を一つ。某優良企業が社会活動の一環として、21世紀への課題などをテーマとして自由に討論、意見交換をする会議へのお誘い手紙が届きました。
この会議は参加資格があって、30~40代である事と定員があるので50代に突入してこの会の資格を失う枠がある事と、あとは関係の人からの推薦が必要な事などなのです。
会場は伊豆半島の某所で開催は6月上旬です。私の場合、本当は入会資格が45歳以下という条件もあるらしいのですが、今回はかなり大量にOBが出るという事で例外的に認められたようです。
もちろん、私の友人がこの会議に招かれていてその人達からの推薦があっての事でもあるのですが。
メンバーはそうそうたるもので、超優良企業の40代の部長さんだとか、マスコミの面々、某県の知事、中央省庁の課長級、大学教授、かつてのオリンピックアスリートもいます。
こういう人たちがどういう話題を繰り広げてくれるのか、出会いが楽しみです。
* * * *
さてこの会議、毎年一つのお題が与えられてそれを軸に意見が交換されるのだそうです。そして今年のお題はといえば「日本の品格」だそうです。
はてさて、藤原正彦さんの「国家の品格」という新書がたいそう売れているそうですが、そういう観点を30~40代の次代を担うエリートと目されている人たちがどのように語ってくれるのかが楽しみです。
私にも私なりの「品格」への思いがありますからそれを投げかけて反応を見てみたいものです。
品格で言うと、「品」というものをやはり多くの日本人は失いかけているように見えます。「品がない」と注意をする事は野暮なことであるかのようです。
法律に違反していなければ許されるというようなことではなくて、品がなくては好かれない、という価値観が厳然とあるのだ、ということが忘れられています。
子供のときにお習字を習っていた時期がありました。あるとき書くのに失敗した半紙をくしゃくしゃに丸めてぽいと捨てたときに、先生だったおじいさんから「あなたは紙に恨みがあるのかね?」と優しく訊かれました。
多分紙をくしゃくしゃに丸めるという行為は先生には品がなく映ったのだと思います。幼心に「そうだな。紙を丸めて捨てるものではないな」と思った私はそのときから紙を折るか畳むかして捨てるようになりました。
しかしその行為の品格が分かるまでには、そのときから有に30年が経過していたのです。
分かる人には分かるけれど、分からない人には分からない。分かる人が教えてあげなければ分からないのかも知れません。
でもこんな駄文を読んで、はたと何かに気付く人もいるかも知れませんから敢えて書いています。
トイレでエアタオルを使うのは品がありません。大人の常識としてハンカチを一枚持てばよいだけなのです。たかが手を乾かすために電気を使い大きな音を立てる必要などないのです。
自分自身が保てない品格を棚に上げて敢えて言っています。気付いたときには恥ずかしくなって保てるようになるかも知れないからです。
気付いたところから始めたいものです。気付かないのが問題ではあるのですが。