やっぱり気温の上がらない一日です。ときどきは粉雪が舞うような天気では、外に出たい気持ちにはなりません。
【お焚き上げ】
私の実家に母方の祖父母が大事にしていたお仏壇がありました。実家ではこれを母方と父方が同じ宗派だという事で、もうだいぶ前に父方の仏壇と一緒にしてお参りをしていました。
そのため古い母方の仏壇は何も入っていないまま置かれていたのですが、もうそろそろ何とかしようということになりました。
そうなるとこのような神仏に関わるような物をどのように処分して良いかということは案外困ってしまう事です。
私の母親はだいぶ昔の新聞に載った広告を大事に切り抜いて持っていたのですが、それがお焚き上げ協会というところでした。こちらでは、そのような信仰に関わる仏具やおひな様や人形などの類などを仏具はお参り、神具はお祓いできちんとその世界へ送り返してくださるのだそうです。
聞けば、鈴などの金属も一緒に送ってくれるとのことです。ゴミの処理的に言えば、燃やす事で金属類は分かれて分別する事もできますし、燃えないものはガラス場のスラグと呼ばれる安定的な物質になることでしょう。
しかし、そもそもゴミとして処分するにはなかなかはばかられるものですし、昔のように神社の境内で燃やすというような中途半端な形ではダイオキシンなどの環境問題も発生する事になります。
こちらではちゃんと800℃以上の高温で焼く事でダイオキシン問題を解決していますし、関係者が望めばお焚き上げのときにも立ち会わしてもらえるのだそうです。立ち会える日は限られますが、品物を持ち込むのは年中無休で受け付けてくれるのだそうです。持ち主の気持ちにしっかりと配慮してくださっています。
今日は、母親から電話が来て祖父母のお仏壇をお焚き上げ協会まで運んでくれないか、とのことでしたので、実家で仏壇を車に積んで協会まで行ってきたものです。ちゃんと費用を払って処分を依頼した事で心の平穏が保たれるのですからありがたい事です。
きっと昔の時代ならば昔なりのやり方があったのでしょうけれど、信仰的な、また環境的な今日の時代の要請を受けながら、我々の日常も変化して行く事でしょう。
以前松本に住んでいたときは、「サンクロウ」という正月行事があって、年始飾りを燃やすのに、町内の人間が柳の木に餅をつけて焼いて食べると健康によい、という伝統を守っていました。
それでも餅をそのまま焼くのではなく、アルミホイルで包んですすがつかないようにしてみたりして、結構現代風に工夫していたのは面白い事でした。
しかし年始飾りにプラスチック製品が混じるようになったために、全国各地で庶民が行うどんど焼きがやられなくなっているという話も聞きました。
ダイオキシンには発ガン性がある、と言われますが、科学が信仰という心の領域にずかずかと土足で入り込むようなものではなく、穏やかな融合を計りたいものです。
心を持った科学というのが良いのではないでしょうか。
* * * *
午後は娘を送りがてら旭川までドライブ。娘の家のすぐ側に川村カ子ト(カネト)」さんのアイヌ記念館があってなかなか行く機会がなかったのを、今日訪れる事が出来ました。
川村カネトさんは、昭和52年に亡くなられていますが、ご存命中は鉄道の測量士として名を馳せて、和人では尻込みするような地形のところでも勇敢に測量をした事で知られています。
川村さんは北海道の鉄道の多くを手がけましたが、その名声を聞きつけた三振鉄道は彼に今日の飯田線でも長年手が付けられず最大の難所であった、佐久間~天竜峡間の測量を依頼しました。
中にはアイヌの指示を受ける事が面白くないという和人の恨みなどもあって、多くの困難もありましたが、とうとう敷設は成功して、豊橋~辰野間の全線が開通して今日に至っているのだそうです。
この飯田線は、塩の道の自転車ツアーの際に、部隊を追いかけるのに私が一度だけ乗った事のある鉄道路でした。
こんなところで人生の思い出が繋がるとは思いませんでした。やはり旅はしてみるものですねえ。
【お焚き上げ】
私の実家に母方の祖父母が大事にしていたお仏壇がありました。実家ではこれを母方と父方が同じ宗派だという事で、もうだいぶ前に父方の仏壇と一緒にしてお参りをしていました。
そのため古い母方の仏壇は何も入っていないまま置かれていたのですが、もうそろそろ何とかしようということになりました。
そうなるとこのような神仏に関わるような物をどのように処分して良いかということは案外困ってしまう事です。
私の母親はだいぶ昔の新聞に載った広告を大事に切り抜いて持っていたのですが、それがお焚き上げ協会というところでした。こちらでは、そのような信仰に関わる仏具やおひな様や人形などの類などを仏具はお参り、神具はお祓いできちんとその世界へ送り返してくださるのだそうです。
聞けば、鈴などの金属も一緒に送ってくれるとのことです。ゴミの処理的に言えば、燃やす事で金属類は分かれて分別する事もできますし、燃えないものはガラス場のスラグと呼ばれる安定的な物質になることでしょう。
しかし、そもそもゴミとして処分するにはなかなかはばかられるものですし、昔のように神社の境内で燃やすというような中途半端な形ではダイオキシンなどの環境問題も発生する事になります。
こちらではちゃんと800℃以上の高温で焼く事でダイオキシン問題を解決していますし、関係者が望めばお焚き上げのときにも立ち会わしてもらえるのだそうです。立ち会える日は限られますが、品物を持ち込むのは年中無休で受け付けてくれるのだそうです。持ち主の気持ちにしっかりと配慮してくださっています。
今日は、母親から電話が来て祖父母のお仏壇をお焚き上げ協会まで運んでくれないか、とのことでしたので、実家で仏壇を車に積んで協会まで行ってきたものです。ちゃんと費用を払って処分を依頼した事で心の平穏が保たれるのですからありがたい事です。
きっと昔の時代ならば昔なりのやり方があったのでしょうけれど、信仰的な、また環境的な今日の時代の要請を受けながら、我々の日常も変化して行く事でしょう。
以前松本に住んでいたときは、「サンクロウ」という正月行事があって、年始飾りを燃やすのに、町内の人間が柳の木に餅をつけて焼いて食べると健康によい、という伝統を守っていました。
それでも餅をそのまま焼くのではなく、アルミホイルで包んですすがつかないようにしてみたりして、結構現代風に工夫していたのは面白い事でした。
しかし年始飾りにプラスチック製品が混じるようになったために、全国各地で庶民が行うどんど焼きがやられなくなっているという話も聞きました。
ダイオキシンには発ガン性がある、と言われますが、科学が信仰という心の領域にずかずかと土足で入り込むようなものではなく、穏やかな融合を計りたいものです。
心を持った科学というのが良いのではないでしょうか。
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午後は娘を送りがてら旭川までドライブ。娘の家のすぐ側に川村カ子ト(カネト)」さんのアイヌ記念館があってなかなか行く機会がなかったのを、今日訪れる事が出来ました。
川村カネトさんは、昭和52年に亡くなられていますが、ご存命中は鉄道の測量士として名を馳せて、和人では尻込みするような地形のところでも勇敢に測量をした事で知られています。
川村さんは北海道の鉄道の多くを手がけましたが、その名声を聞きつけた三振鉄道は彼に今日の飯田線でも長年手が付けられず最大の難所であった、佐久間~天竜峡間の測量を依頼しました。
中にはアイヌの指示を受ける事が面白くないという和人の恨みなどもあって、多くの困難もありましたが、とうとう敷設は成功して、豊橋~辰野間の全線が開通して今日に至っているのだそうです。
この飯田線は、塩の道の自転車ツアーの際に、部隊を追いかけるのに私が一度だけ乗った事のある鉄道路でした。
こんなところで人生の思い出が繋がるとは思いませんでした。やはり旅はしてみるものですねえ。