明るい春の一日。自動車学校に通っていた娘が無事に卒業試験を合格したのだそうです。
あとは今住んでいる地元で学科試験に合格すれば免許取得となるのです。さてさて、我が家の自動車の保険契約の変更はどうしましょうか。
【庶民の躾とモッタイナイ】
久しぶりに本の紹介と読書感想で参りましょう。
今読んでいるのはおなじみ宮本常一さんの「庶民の発見」(講談社学術文庫)です。
何度も紹介する宮本常一さん(1907~81)は旅する民俗学者として、昭和14年以降全国を旅して直接地方の人達から伝承や生活の全てを聞き取りそこから、上からのではなく庶民の側からの民俗学を打ちたてた巨人です。
ここのところ宮本常一さんの本だけは読めるだけ読んでおこうとページを繰っていますが、ページごとに含蓄のある言葉がちりばめられていて、興味が尽きないのです。
さてそんな中、昔から近世江戸、明治頃までの「村里の教育」についての論考がありました。私達はつい最近の明治以前の日本の村々でどの様な生活が行われいたのかということについてはあまり考えた事もないことでしょう。せいぜい時代劇を観て、今の自分たちの生活と重ねて想像するくらいなものでしょう。
宮本先生は、江戸時代から明治時代を生きてきた多くの年寄り達から彼らの覚えている日常を教えてもらい、庶民の普段の生活というものを発見し見つめたのでした。
明治になる以前の江戸時代のほとんど多くの村の生活には、ほんの少数の人を除いては文字というものを持たなかった、ということは案外知られていないことでしょう。また文字を知る必要もなく、口伝えで村のしきたりやなすべきことなどが代々伝えられてきたのが日本なのでした。
子供が大人になる過程では口頭での伝承が用いられました。小豆島のある村では、若者組に入って一人前になるためには村でやらなくてはならないことや祭りでの山車の行事などについて暗記をしなくてはならず、その分量は400文字の原稿用紙85枚相当に及んだ、という記録があるそうです。
文字がなく、言葉で伝承される社会では、言葉というものは信じられるものでまた実践されるものであったのです。
村では協働で力を合わせてやらなくてはならなかった仕事が多かったために、そのようなことが強い団結で行われるためにはまず村に共通する観念を身につけなくてはなりませんでした。
文字をもたない社会ではそのことは、言葉として学び次に生活の仕方、生き様として身につけて行かなくてはならなかったのです。
「物の理を説いて不合理な物を排除して知識を深めて行く、今日の教育とはおよそちがったものであるが、こうした実践を通して生き方を一つの型として身につけてゆくことをシツケと言った」と宮本先生は書いています。
「躾」は中国にはない漢字で日本人が作ったものですが、明治の学校教育が知識の注入を第一としたのに対して、村里にあっては生活技術伝承のためのシツケが根強く残ったのです。
一般にシツケというものには、その基準になるモラルをその底に、もっています。西日本ではその基準は「モッタイナイ」や「オカゲ」「バチ」「義理」「恥」なのだったろう、と先生は言います。
「モッタイナイやオカゲには神祭的な感覚が含まれている。人が物を粗末にしないのは、モッタイナイからであり、われわれが日々を安穏にくらしてゆけるのは、天地や祖先のオカゲだと信じていた」
「オカゲというのは恩とはやや違った意味をもっていた。恩は返さなくてはならないが、オカゲをうければ喜びあえばよいものであった。伊勢神宮へのオカゲまいりなどがそのことをよく物語っている」
最近では国連でノーベル平和賞を受賞した、ケニアのマータイ環境副大臣が「日本には素晴らしい言葉がある。それは『モッタイナイ』です」と紹介をして話題になり、日本でもモッタイナイはエコ生活や環境に配慮する日本人を象徴する単語としてもてはやされました。
しかしその言葉の中に、村里が培った信仰心やなにかを畏れる心が込められていると言うことを説明できる日本人がどれだけいるでしょうか。
まだ多くの日本人にはモッタイナイと言われれば、「ああそうだね」と理解できる素地が残っているようにも思いますが、それが神祭的感覚や物忌みの気持ちの反映として起こっているということまではあまり理解されていないようにも思います。
直感的に分かってしまう日本人には、逆に分からない世界の人達に対して分かるように説明ができないのかもしれません。私たちは、自分たちが自信をもって売り出せる品格を、まずは日本語で説明できるだけの力を持ちたいものです。
今日、村社会での生き方をDNAに秘めながら、文字を当たり前に持ち得ている我々に求められていることが何なのかをもう一度考えてみましょう。
入学式の姿をテレビで観て、改めてそんなことを考えました。
あとは今住んでいる地元で学科試験に合格すれば免許取得となるのです。さてさて、我が家の自動車の保険契約の変更はどうしましょうか。
【庶民の躾とモッタイナイ】
久しぶりに本の紹介と読書感想で参りましょう。
今読んでいるのはおなじみ宮本常一さんの「庶民の発見」(講談社学術文庫)です。
何度も紹介する宮本常一さん(1907~81)は旅する民俗学者として、昭和14年以降全国を旅して直接地方の人達から伝承や生活の全てを聞き取りそこから、上からのではなく庶民の側からの民俗学を打ちたてた巨人です。
ここのところ宮本常一さんの本だけは読めるだけ読んでおこうとページを繰っていますが、ページごとに含蓄のある言葉がちりばめられていて、興味が尽きないのです。
さてそんな中、昔から近世江戸、明治頃までの「村里の教育」についての論考がありました。私達はつい最近の明治以前の日本の村々でどの様な生活が行われいたのかということについてはあまり考えた事もないことでしょう。せいぜい時代劇を観て、今の自分たちの生活と重ねて想像するくらいなものでしょう。
宮本先生は、江戸時代から明治時代を生きてきた多くの年寄り達から彼らの覚えている日常を教えてもらい、庶民の普段の生活というものを発見し見つめたのでした。
明治になる以前の江戸時代のほとんど多くの村の生活には、ほんの少数の人を除いては文字というものを持たなかった、ということは案外知られていないことでしょう。また文字を知る必要もなく、口伝えで村のしきたりやなすべきことなどが代々伝えられてきたのが日本なのでした。
子供が大人になる過程では口頭での伝承が用いられました。小豆島のある村では、若者組に入って一人前になるためには村でやらなくてはならないことや祭りでの山車の行事などについて暗記をしなくてはならず、その分量は400文字の原稿用紙85枚相当に及んだ、という記録があるそうです。
文字がなく、言葉で伝承される社会では、言葉というものは信じられるものでまた実践されるものであったのです。
村では協働で力を合わせてやらなくてはならなかった仕事が多かったために、そのようなことが強い団結で行われるためにはまず村に共通する観念を身につけなくてはなりませんでした。
文字をもたない社会ではそのことは、言葉として学び次に生活の仕方、生き様として身につけて行かなくてはならなかったのです。
「物の理を説いて不合理な物を排除して知識を深めて行く、今日の教育とはおよそちがったものであるが、こうした実践を通して生き方を一つの型として身につけてゆくことをシツケと言った」と宮本先生は書いています。
「躾」は中国にはない漢字で日本人が作ったものですが、明治の学校教育が知識の注入を第一としたのに対して、村里にあっては生活技術伝承のためのシツケが根強く残ったのです。
一般にシツケというものには、その基準になるモラルをその底に、もっています。西日本ではその基準は「モッタイナイ」や「オカゲ」「バチ」「義理」「恥」なのだったろう、と先生は言います。
「モッタイナイやオカゲには神祭的な感覚が含まれている。人が物を粗末にしないのは、モッタイナイからであり、われわれが日々を安穏にくらしてゆけるのは、天地や祖先のオカゲだと信じていた」
「オカゲというのは恩とはやや違った意味をもっていた。恩は返さなくてはならないが、オカゲをうければ喜びあえばよいものであった。伊勢神宮へのオカゲまいりなどがそのことをよく物語っている」
最近では国連でノーベル平和賞を受賞した、ケニアのマータイ環境副大臣が「日本には素晴らしい言葉がある。それは『モッタイナイ』です」と紹介をして話題になり、日本でもモッタイナイはエコ生活や環境に配慮する日本人を象徴する単語としてもてはやされました。
しかしその言葉の中に、村里が培った信仰心やなにかを畏れる心が込められていると言うことを説明できる日本人がどれだけいるでしょうか。
まだ多くの日本人にはモッタイナイと言われれば、「ああそうだね」と理解できる素地が残っているようにも思いますが、それが神祭的感覚や物忌みの気持ちの反映として起こっているということまではあまり理解されていないようにも思います。
直感的に分かってしまう日本人には、逆に分からない世界の人達に対して分かるように説明ができないのかもしれません。私たちは、自分たちが自信をもって売り出せる品格を、まずは日本語で説明できるだけの力を持ちたいものです。
今日、村社会での生き方をDNAに秘めながら、文字を当たり前に持ち得ている我々に求められていることが何なのかをもう一度考えてみましょう。
入学式の姿をテレビで観て、改めてそんなことを考えました。
