4月の人事異動で新しく転任してきた皆さんが職場に揃いました。いよいよ新しい職場体勢のスタートです。
気持ちも新たにして、旧弊を改めるならば今ですね。気付いた時に自分を少しずつ変えて行きましょう。
【景気回復ということ】
新年度最初の勉強会は、マクロ動態経済学という分野の世界的権威である、大阪大学の小野善康教授をお招きして、「景気回復の実態と構造改革の利権構造」というお題で現在の政府の経済政策についてお話を伺いました。
小野先生は現在の政府の「官から民へ」や「景気対策より効率化を」、さらには「無駄を排除して経済回復を」といったスローガンに疑問を持つお一人で、「効率化では景気回復には至らない」という論をお持ちの方なのです。
そのことは、家庭と社会全体を同じように考えてしまうことからくる誤りであり、一つ一つは一見妥当なことでも、全体としては誤った方向に流れしまう「合成の誤謬(ごびゅう)」だと言い切るのです。
端的な例を一つ挙げましょう。月に50万円の給料の人がいるとして、月に30万円を消費して20万円を貯蓄に回すと、年間に240万円の貯金が出来るという計算がなり立ちます。
そこでもう少し頑張って(仮定の話として)一カ月におよそ水だけで過ごすことにして、まるまる50万円を貯蓄に回そうと決意すると、なんと年間に600万円も溜まる計算になります。
さて、我が家が一年で600万円貯めなくてはならないせっぱ詰まった理由があって、他の人全てが今まで通りの消費をしてくれて、自分だけが貯蓄をしようというのであれば、これは我が家とすれば成立する事柄です。
しかしこれが景気が悪くなり社会全体の気持ちが暗く沈んでしまったりして、日本中の全ての家庭が水だけで暮らして月の給料を全て貯蓄に回してしまうとどうなるでしょう。
誰も何も買わない社会になれば、物が売れなくなって会社では従業員に給料を払うお金が無くなってしまい、月に50万円もらえると思っていたはずの給料は、社会の誰ももらえないことになってしまうでしょう。
我が家だけのことであれば妥当だったことも、社会全体が行えば誤りになるという端的な例です。
我が家の貯蓄は、社会にとっては無駄なのです。
※ ※ ※ ※
もう一つの例です。日本中の会社が50人の従業員を抱えていたとして、不況で効率化を求めるために10人をクビにして40人で仕事を行おうとしたと思いましょう。
仕方なくクビにした社員は他の会社が雇ってくれることを期待して、自分の会社だけがそういう効率化を進めたとすれば、そのことは一見妥当ですが、国中の会社が2割の社員を削減したとすれば、社会には失業者があふれかえってしまうでしょう。
他の会社が余った社員を吸収してくれない社会では、効率化を全体が推し進めれば不況をますます助長してしまうことにつながるのです。
しかも民間の会社であれば、余分な労働力を自分の組織の外へ出すことで効率化を進めることも出来ますが、政府ということは日本という国は国民をクビにして国外へ追いやるわけにはいかないのです。
ですから公的部門の取るべき態度は、当然民間とは違った物になるはずだと考えるべきでしょう。
現在の政府の経済政策はまさにこのような「官から民へ」「無駄の徹底的な排除」というスローガンの元で「効率化」をめざし、それゆえに返ってなかなか経済が回復しないのだと小野先生はおっしゃるのです。
「努力をした人が報われる社会を目指す」と言います。しかしそのときの努力とは、20人の社員募集に100人が応募して合格した20人に対して言うべき話ではありません。
落ちた80人は相変わらず努力しても報われようのない社会だからです。
努力が報われる社会というのは、働きたい人には何らかの働き口があって成績で給料が決まるというようなことであって、全体を吸収できないような社会でよいはずがないのです。
ニートの問題なども根元はそこにあると言えるでしょう。
小野先生は「だから公的セクターは一見効率の悪そうなところに金を渡すことから始まる」と言います。
しかしそれは、世間からは「民間ならそんなことはしない」というバッシングやねたみ、そねみを生みかねない難しい立場でもあります。
効率が悪い分野でも、少しでもその効率を上げるように努力しながらそこへお金を回して、社会にとって真に(ない方がよい)【無駄な】失業者などの労働力を利活用すべきなのだ、ということなのです。
だって効率がよい分野ならば民間がお金を回して企業活動が出来るはずなのですから。
もちろん、効率の悪さをそのままにして平気であってはなりません。しかし、失敗すれば止めてしまえるように民間事業者ならば平気で出来ることができない、公的セクターが世間の批判をまともにうけながらその役割を果たすと言うことは、そういうことなのではないか、と小野先生はおっしゃるのです。
官側にいる者としてはありがたい話ですが、世間にはこのことを深く考えている人はあまり多くないようです。我々はどう説明したらよいのでしょうか。
※ ※ ※ ※
もっともそんな経済政策を取りながらも、日本経済はどうやら回復基調にあるようです。その原因について小野先生は、「経済の30年~40年という大きな循環の上り口にあたっているからです」と考えておられます。
実際過去の経済トレンドをよくよく調べてみると、約35年程度の周期で好況が訪れて来るという循環の姿が浮かんできます。
小野先生がバブルの頃にお父さんから「そういやぁ、こんな好況がだいぶ昔にもあって、その後は不況になったもんだ」と言われた時には、「父さん、もうこの好況はずっと続いて不況になることはないんだよ」と恥ずかしげもなく言ったのだそうです。
要するに、経済の循環は一世代に一度は訪れるもので、その時には前の世代の知恵は後代に伝えられずにいて、同じような失敗を繰り返すことになるというのです。
「だから多かれ少なかれ、バブルはまた来ます。そしてまた不況になる」ということです。
そのことを小野先生は「天災は忘れた頃にやってくる」という言葉で有名な昭和初期の物理学者にして文筆家である寺田寅彦になぞらえて、「寺田寅彦は忘れた頃にやってくる」と揶揄しています。
我々は一世代前の経験と知恵をしっかりと受け止めて、反省を忘却の彼方に追いやっては行けないのです。
現在の景気回復基調がどの様になるかを見届けた上で、「忘れた頃にやってくる」経済循環に備えるような冷徹な論理と知恵を社会として身につけたいものです。
妬みやそねみや恨み、やっかみといった感情ほど、そのようなときに邪魔になるものはありません。感情的ではない論理的な思考のできる社会でありたいものです。
気持ちも新たにして、旧弊を改めるならば今ですね。気付いた時に自分を少しずつ変えて行きましょう。
【景気回復ということ】
新年度最初の勉強会は、マクロ動態経済学という分野の世界的権威である、大阪大学の小野善康教授をお招きして、「景気回復の実態と構造改革の利権構造」というお題で現在の政府の経済政策についてお話を伺いました。
小野先生は現在の政府の「官から民へ」や「景気対策より効率化を」、さらには「無駄を排除して経済回復を」といったスローガンに疑問を持つお一人で、「効率化では景気回復には至らない」という論をお持ちの方なのです。
そのことは、家庭と社会全体を同じように考えてしまうことからくる誤りであり、一つ一つは一見妥当なことでも、全体としては誤った方向に流れしまう「合成の誤謬(ごびゅう)」だと言い切るのです。
端的な例を一つ挙げましょう。月に50万円の給料の人がいるとして、月に30万円を消費して20万円を貯蓄に回すと、年間に240万円の貯金が出来るという計算がなり立ちます。
そこでもう少し頑張って(仮定の話として)一カ月におよそ水だけで過ごすことにして、まるまる50万円を貯蓄に回そうと決意すると、なんと年間に600万円も溜まる計算になります。
さて、我が家が一年で600万円貯めなくてはならないせっぱ詰まった理由があって、他の人全てが今まで通りの消費をしてくれて、自分だけが貯蓄をしようというのであれば、これは我が家とすれば成立する事柄です。
しかしこれが景気が悪くなり社会全体の気持ちが暗く沈んでしまったりして、日本中の全ての家庭が水だけで暮らして月の給料を全て貯蓄に回してしまうとどうなるでしょう。
誰も何も買わない社会になれば、物が売れなくなって会社では従業員に給料を払うお金が無くなってしまい、月に50万円もらえると思っていたはずの給料は、社会の誰ももらえないことになってしまうでしょう。
我が家だけのことであれば妥当だったことも、社会全体が行えば誤りになるという端的な例です。
我が家の貯蓄は、社会にとっては無駄なのです。
※ ※ ※ ※
もう一つの例です。日本中の会社が50人の従業員を抱えていたとして、不況で効率化を求めるために10人をクビにして40人で仕事を行おうとしたと思いましょう。
仕方なくクビにした社員は他の会社が雇ってくれることを期待して、自分の会社だけがそういう効率化を進めたとすれば、そのことは一見妥当ですが、国中の会社が2割の社員を削減したとすれば、社会には失業者があふれかえってしまうでしょう。
他の会社が余った社員を吸収してくれない社会では、効率化を全体が推し進めれば不況をますます助長してしまうことにつながるのです。
しかも民間の会社であれば、余分な労働力を自分の組織の外へ出すことで効率化を進めることも出来ますが、政府ということは日本という国は国民をクビにして国外へ追いやるわけにはいかないのです。
ですから公的部門の取るべき態度は、当然民間とは違った物になるはずだと考えるべきでしょう。
現在の政府の経済政策はまさにこのような「官から民へ」「無駄の徹底的な排除」というスローガンの元で「効率化」をめざし、それゆえに返ってなかなか経済が回復しないのだと小野先生はおっしゃるのです。
「努力をした人が報われる社会を目指す」と言います。しかしそのときの努力とは、20人の社員募集に100人が応募して合格した20人に対して言うべき話ではありません。
落ちた80人は相変わらず努力しても報われようのない社会だからです。
努力が報われる社会というのは、働きたい人には何らかの働き口があって成績で給料が決まるというようなことであって、全体を吸収できないような社会でよいはずがないのです。
ニートの問題なども根元はそこにあると言えるでしょう。
小野先生は「だから公的セクターは一見効率の悪そうなところに金を渡すことから始まる」と言います。
しかしそれは、世間からは「民間ならそんなことはしない」というバッシングやねたみ、そねみを生みかねない難しい立場でもあります。
効率が悪い分野でも、少しでもその効率を上げるように努力しながらそこへお金を回して、社会にとって真に(ない方がよい)【無駄な】失業者などの労働力を利活用すべきなのだ、ということなのです。
だって効率がよい分野ならば民間がお金を回して企業活動が出来るはずなのですから。
もちろん、効率の悪さをそのままにして平気であってはなりません。しかし、失敗すれば止めてしまえるように民間事業者ならば平気で出来ることができない、公的セクターが世間の批判をまともにうけながらその役割を果たすと言うことは、そういうことなのではないか、と小野先生はおっしゃるのです。
官側にいる者としてはありがたい話ですが、世間にはこのことを深く考えている人はあまり多くないようです。我々はどう説明したらよいのでしょうか。
※ ※ ※ ※
もっともそんな経済政策を取りながらも、日本経済はどうやら回復基調にあるようです。その原因について小野先生は、「経済の30年~40年という大きな循環の上り口にあたっているからです」と考えておられます。
実際過去の経済トレンドをよくよく調べてみると、約35年程度の周期で好況が訪れて来るという循環の姿が浮かんできます。
小野先生がバブルの頃にお父さんから「そういやぁ、こんな好況がだいぶ昔にもあって、その後は不況になったもんだ」と言われた時には、「父さん、もうこの好況はずっと続いて不況になることはないんだよ」と恥ずかしげもなく言ったのだそうです。
要するに、経済の循環は一世代に一度は訪れるもので、その時には前の世代の知恵は後代に伝えられずにいて、同じような失敗を繰り返すことになるというのです。
「だから多かれ少なかれ、バブルはまた来ます。そしてまた不況になる」ということです。
そのことを小野先生は「天災は忘れた頃にやってくる」という言葉で有名な昭和初期の物理学者にして文筆家である寺田寅彦になぞらえて、「寺田寅彦は忘れた頃にやってくる」と揶揄しています。
我々は一世代前の経験と知恵をしっかりと受け止めて、反省を忘却の彼方に追いやっては行けないのです。
現在の景気回復基調がどの様になるかを見届けた上で、「忘れた頃にやってくる」経済循環に備えるような冷徹な論理と知恵を社会として身につけたいものです。
妬みやそねみや恨み、やっかみといった感情ほど、そのようなときに邪魔になるものはありません。感情的ではない論理的な思考のできる社会でありたいものです。
