朝の通勤の道すがら、家並みから漂うのは暖房に灯油を燃やすほのかな香りです。晩秋から初冬の訪れを知らせるのは、そんなほのかな香りなのです。
さて今日は
■千客万来~多くの人に会う の1本です。
【千客万来~多くの人に会う】
10月最後の一日に千客万来です。人に会うときはとにかく会えるものです。こういうのは占い上はどうなっているのかなあ、と思うのですが答えは分からず仕舞いです。
最初は某建設業社の社長さんが訪ねてきました。この方は生業とは裏腹に、ちっとも土建業者さんには見えないおっとりした紳士である。
社長の会社があるところが私も昔住んでいた町で、おもわず昔の学校の話になる。
「私は新制中学校の2期生でしてね。当時は中学校と言っても校舎なんかなくて、三年間に三つの場所を間借りしましたよ。最初は高校の一部、次に別の中学校の一部、最後は博覧会跡地の建物が校舎になりましてね。そのたびに机と椅子を自分たちで運んで移動したものです」
「今では校舎や椅子、机があるのはあたりまえで、おまけに夏は涼しく冬は暖かい環境が用意されていますものね」
「本当です。『そういう時代だったのさ』と言えば笑い話かも知れませんが、まあ本当に何もありませんでしたねえ」と笑う。
そんな時代から、(次の世代にはもっと良い教育環境を用意してあげたいものだ)と思って努力してきた半世紀だったはずだが、良い教育環境は今やあたりまえになってしまい、そのうえでそこで勉強の意味を見いだせずにいる子供たちも多いのだ。
一体何を間違えたというのだろう…。
河川に植物が生育する場合、一年に数度洪水が起きる事で土砂が運ばれたり栄養がもたらされたり、あるいは自分以外のものが流される結果、自分だけは維持されるということがあるそうだ。
洪水やトイレで水を流す事を英語で「フラッシュ」と言うのだが、ひたすら前進するばかりが善なのではなく、積み上げて澱(おり)のようなものがたまってどうしようもなくなったときにはフラッシュをして、『ごわさん』にしたところから始まることにも一定の価値を見いだせるのだろう。
社会も制度も、長年使っていると不具合が多くなったりその存在による弊害の方が多くなったりする事もあるだろう。
たまには新しくて白いカンバスに自由に絵を描いてみたくなるものである。
トイレを使ったら最後は流しましょう。フラ~ッシュ!
* * * *
シーニックバイウェイについて卒論で研究したいという学生さんと先生が職場を訪ねてきてくれて、こちらの担当者側から説明をして意見交換をした。
認定のための制度はあるけれど、その先には明確な支援制度はなくて、あくまでも地域の自主性に委ねられる地域作りです、と説明すると、分かったような分からないような不思議そうな顔をしている。
今までのように支援制度を先に作って、これを利用して地域作りを応援するようなものとは全く発想が違うこの取り組みの難しさとすばらしさは、なかなか動かない行政や、一方で熱心な市民団体の姿を目の当たりにするような、まちづくりの現場に立った事があるものには、皮膚感覚として実によく分かる。
しかし資料をいくらひっくり返したり裏から読んだりしてみても、そこにたどり着くのは難しいだろう。多くの人と交わって意見を集めたり、提案したり、相手に納得してもらう説明をするといった、「現場感覚」という基礎的な知識や経験が必要なのだ。
この場合必要なのは、互いに共通する感覚の土俵なのだろう。
* * * *
人はしばしば説明を聞けば理解出来る、説明をすれば分かってもらえる、と信じている。
しかし、言葉がお互いの中で必ずしも同じ事を意味しているとは限らない、という単純な事が分かっていない場合が多い。
説明されて分からないのは、自分が不勉強なのではなくて相手の説明の仕方が悪い、という感覚である。
常に相手に頼らなければ生きていけないような弱い自分ではなくて、様々な場面に対処出来る強い生き方を貫くには、普段の勉強が欠かせないはず。それが生涯にわたって学習をしなくてはならない、という生涯学習の真髄だ。
一日一行の文を読めばその分だけ賢くなり、一日怠惰に過ごせばその分人に離されてゆくのはものの道理だ。だから今を嘆くよりは実践を積み重ねることが必要なのだ。
実践するという事は誰にとっても、立派な人になる唯一の処方箋だ。薬が出ているのに飲まない人は多いのだ。
* * * *
夜に近在の官庁の観光関係者が約30人ほども集まって懇親会を開催した。日頃なかなかこうした機会もないものだが、思い立って実施して良かった。
普段お互いに遠慮して深くは話せないような人たちとも酒の力を借りてお話をする事が出来た。
人を知る事は絶対善だ。それが生涯学習の真髄の一つでもある。
さて今日は
■千客万来~多くの人に会う の1本です。
【千客万来~多くの人に会う】
10月最後の一日に千客万来です。人に会うときはとにかく会えるものです。こういうのは占い上はどうなっているのかなあ、と思うのですが答えは分からず仕舞いです。
最初は某建設業社の社長さんが訪ねてきました。この方は生業とは裏腹に、ちっとも土建業者さんには見えないおっとりした紳士である。
社長の会社があるところが私も昔住んでいた町で、おもわず昔の学校の話になる。
「私は新制中学校の2期生でしてね。当時は中学校と言っても校舎なんかなくて、三年間に三つの場所を間借りしましたよ。最初は高校の一部、次に別の中学校の一部、最後は博覧会跡地の建物が校舎になりましてね。そのたびに机と椅子を自分たちで運んで移動したものです」
「今では校舎や椅子、机があるのはあたりまえで、おまけに夏は涼しく冬は暖かい環境が用意されていますものね」
「本当です。『そういう時代だったのさ』と言えば笑い話かも知れませんが、まあ本当に何もありませんでしたねえ」と笑う。
そんな時代から、(次の世代にはもっと良い教育環境を用意してあげたいものだ)と思って努力してきた半世紀だったはずだが、良い教育環境は今やあたりまえになってしまい、そのうえでそこで勉強の意味を見いだせずにいる子供たちも多いのだ。
一体何を間違えたというのだろう…。
河川に植物が生育する場合、一年に数度洪水が起きる事で土砂が運ばれたり栄養がもたらされたり、あるいは自分以外のものが流される結果、自分だけは維持されるということがあるそうだ。
洪水やトイレで水を流す事を英語で「フラッシュ」と言うのだが、ひたすら前進するばかりが善なのではなく、積み上げて澱(おり)のようなものがたまってどうしようもなくなったときにはフラッシュをして、『ごわさん』にしたところから始まることにも一定の価値を見いだせるのだろう。
社会も制度も、長年使っていると不具合が多くなったりその存在による弊害の方が多くなったりする事もあるだろう。
たまには新しくて白いカンバスに自由に絵を描いてみたくなるものである。
トイレを使ったら最後は流しましょう。フラ~ッシュ!
* * * *
シーニックバイウェイについて卒論で研究したいという学生さんと先生が職場を訪ねてきてくれて、こちらの担当者側から説明をして意見交換をした。
認定のための制度はあるけれど、その先には明確な支援制度はなくて、あくまでも地域の自主性に委ねられる地域作りです、と説明すると、分かったような分からないような不思議そうな顔をしている。
今までのように支援制度を先に作って、これを利用して地域作りを応援するようなものとは全く発想が違うこの取り組みの難しさとすばらしさは、なかなか動かない行政や、一方で熱心な市民団体の姿を目の当たりにするような、まちづくりの現場に立った事があるものには、皮膚感覚として実によく分かる。
しかし資料をいくらひっくり返したり裏から読んだりしてみても、そこにたどり着くのは難しいだろう。多くの人と交わって意見を集めたり、提案したり、相手に納得してもらう説明をするといった、「現場感覚」という基礎的な知識や経験が必要なのだ。
この場合必要なのは、互いに共通する感覚の土俵なのだろう。
* * * *
人はしばしば説明を聞けば理解出来る、説明をすれば分かってもらえる、と信じている。
しかし、言葉がお互いの中で必ずしも同じ事を意味しているとは限らない、という単純な事が分かっていない場合が多い。
説明されて分からないのは、自分が不勉強なのではなくて相手の説明の仕方が悪い、という感覚である。
常に相手に頼らなければ生きていけないような弱い自分ではなくて、様々な場面に対処出来る強い生き方を貫くには、普段の勉強が欠かせないはず。それが生涯にわたって学習をしなくてはならない、という生涯学習の真髄だ。
一日一行の文を読めばその分だけ賢くなり、一日怠惰に過ごせばその分人に離されてゆくのはものの道理だ。だから今を嘆くよりは実践を積み重ねることが必要なのだ。
実践するという事は誰にとっても、立派な人になる唯一の処方箋だ。薬が出ているのに飲まない人は多いのだ。
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夜に近在の官庁の観光関係者が約30人ほども集まって懇親会を開催した。日頃なかなかこうした機会もないものだが、思い立って実施して良かった。
普段お互いに遠慮して深くは話せないような人たちとも酒の力を借りてお話をする事が出来た。
人を知る事は絶対善だ。それが生涯学習の真髄の一つでもある。