天気はよいものの気温がぐんと低くなってきました。そろそろ朝夕はコートが必要な季節でしょうか。
今日はあまりに書くことがないので、二宮翁夜話から心に残る話をお借りしましょう。
■二宮翁夜話より
■257話 官位にあっては謙譲を尽くせ
■272話 悪習の遷善、渋柿の接ぎ穂
【二宮翁夜話より】
今日は会合はいろいろあったものの、特筆すべきこともないので、二宮翁夜話(一円融合会刊 現代版報報徳全書(9) 福住正兄原著 佐々井典比古訳注)より心に残る話をお借りします。皆さんは何を感じるでしょうか。
【257話 官位にあっては謙譲を尽くせ】
翁のことばに、某藩の某氏は、重臣であった当時、私が礼譲と謙遜をすすめたのに耳をかさないで、その後ついに退けられたが、今はひどく困窮して今日をしのげないほどになっている。この人は、その藩が衰廃危難のときにあたって功績があったのに、今はそのように困窮している。
これは、ほかでもない、登用されていた時に、分限の内で暮らさなかった過ちによるのだ。
およそ権勢の盛んな官職について、富も自由自在の時こそ、礼譲・謙遜を尽くす。そうして官を退いてから、仮に遊楽・驕奢に暮らそうとも、さしつかえはない。
それなら一点の非難もなく、人もその官職をねたまないのだ。官位に進んでは艱苦し、退いてから遊楽するのは、昼勤めて夜休息するようなものだが、反対に、官位に進んでは富有にまかせて遊楽・驕奢にふけり、退いてから節倹に努めるのでは、昼間休息して夜艱苦するようなものだ。
昇進した上遊楽していれば、誰がうらやまずにいようか。だれがねたまずにおこうか。雲助が重荷を負うのは、思う存分酒食をとりたいためだ。遊楽・驕奢をしたいために国の重職にいるとすれば、雲助などの生き方と隔たりはない。
重職におる者が、雲助のやり方と同じ事をしていて長く安泰を保てるわけがない。退けられたのは当然で、不幸な災難ではないと言えよう。
※ ※ ※ ※
これが江戸末期の尊徳の考えである。今の公務員などに対する考えと余り違いはしないのに驚くばかりである。
この某氏とは誰のことでもなく、自分自身のことだと思えば身の引き締まる思いである。
「だれがうらやまずにいようか、だれがねたまずにおこうか」というのは厳しい言葉である。世間を恐れ、慎むべきである。
【悪習の遷善、渋柿の接ぎ穂】
翁のことばに、深く悪習に染まった者を善に移らせるのはなかなかむずかしい。あるいは恵みあるいはさとして、いったんは改めることがあっても、また元の悪習に帰るものだ。
これは何ともしようがないもので、幾度でも恵んで教えるがよい。悪習の者を善に導くのは、たとえば渋柿の台木に甘柿を接ぎ穂にしたようなものだ。ややともすると、台木の芽の持ち前が発生して、接ぎ穂の善をそこなうようになる。
だから接ぎ穂をした者は、よく気をつけて、台芽をかきとるように心掛けなければならぬ。もし怠れば、台芽のために接ぎ穂の方が枯れ失せてしまうだろう。
私が預かった土地(桜町)に、こういう者が数名おって、この数名のために私は心身を尽くして努力したものだ。そなたたちも、よく心得るがよい。
※ ※ ※ ※
二宮尊徳翁の話は農作業などを題材にしたたとえ話が多く、それだけ聞く側にとっては身近な体験と照らし合わせて理解しやすかったことだろう。
尊徳翁のコンサルティング手法は「仕法(しほう)」と呼ばれているが、このなかでは「何度でも繰り返し繰り返し行う」ことを大事なことだと考えている。
気づいたらその場ですぐに伝えること。言ったことが叶わなければ、何度でも言う。それでも駄目だとしても、あきらめずに言い続けるというのである。
それはこちらが諦めてしまえば、向こうも言われなくなったことに安心するだけで、本当にこちらが果たしたかったことは果たされていないからである。
「あの時言っただろう?」というのは実は何にもならない、そのときの思いつきに過ぎない。本当にさせたければ何度でも「あれはやったかい?」と聞かなくてはならないのだ。
すぐに弱気になってしまう自分への戒めとして受け止めたい。なかなかできない自分の弱さを超えるためにも。
* * * *
ロッテが怒濤の4連勝で日本一に!最近テレビを見なくなった私ですが、最後の瞬間はしっかりと見ました。
野球がどきどきするスポーツだと思ったのは久しぶりでした。おめでとう!
今日はあまりに書くことがないので、二宮翁夜話から心に残る話をお借りしましょう。
■二宮翁夜話より
■257話 官位にあっては謙譲を尽くせ
■272話 悪習の遷善、渋柿の接ぎ穂
【二宮翁夜話より】
今日は会合はいろいろあったものの、特筆すべきこともないので、二宮翁夜話(一円融合会刊 現代版報報徳全書(9) 福住正兄原著 佐々井典比古訳注)より心に残る話をお借りします。皆さんは何を感じるでしょうか。
【257話 官位にあっては謙譲を尽くせ】
翁のことばに、某藩の某氏は、重臣であった当時、私が礼譲と謙遜をすすめたのに耳をかさないで、その後ついに退けられたが、今はひどく困窮して今日をしのげないほどになっている。この人は、その藩が衰廃危難のときにあたって功績があったのに、今はそのように困窮している。
これは、ほかでもない、登用されていた時に、分限の内で暮らさなかった過ちによるのだ。
およそ権勢の盛んな官職について、富も自由自在の時こそ、礼譲・謙遜を尽くす。そうして官を退いてから、仮に遊楽・驕奢に暮らそうとも、さしつかえはない。
それなら一点の非難もなく、人もその官職をねたまないのだ。官位に進んでは艱苦し、退いてから遊楽するのは、昼勤めて夜休息するようなものだが、反対に、官位に進んでは富有にまかせて遊楽・驕奢にふけり、退いてから節倹に努めるのでは、昼間休息して夜艱苦するようなものだ。
昇進した上遊楽していれば、誰がうらやまずにいようか。だれがねたまずにおこうか。雲助が重荷を負うのは、思う存分酒食をとりたいためだ。遊楽・驕奢をしたいために国の重職にいるとすれば、雲助などの生き方と隔たりはない。
重職におる者が、雲助のやり方と同じ事をしていて長く安泰を保てるわけがない。退けられたのは当然で、不幸な災難ではないと言えよう。
※ ※ ※ ※
これが江戸末期の尊徳の考えである。今の公務員などに対する考えと余り違いはしないのに驚くばかりである。
この某氏とは誰のことでもなく、自分自身のことだと思えば身の引き締まる思いである。
「だれがうらやまずにいようか、だれがねたまずにおこうか」というのは厳しい言葉である。世間を恐れ、慎むべきである。
【悪習の遷善、渋柿の接ぎ穂】
翁のことばに、深く悪習に染まった者を善に移らせるのはなかなかむずかしい。あるいは恵みあるいはさとして、いったんは改めることがあっても、また元の悪習に帰るものだ。
これは何ともしようがないもので、幾度でも恵んで教えるがよい。悪習の者を善に導くのは、たとえば渋柿の台木に甘柿を接ぎ穂にしたようなものだ。ややともすると、台木の芽の持ち前が発生して、接ぎ穂の善をそこなうようになる。
だから接ぎ穂をした者は、よく気をつけて、台芽をかきとるように心掛けなければならぬ。もし怠れば、台芽のために接ぎ穂の方が枯れ失せてしまうだろう。
私が預かった土地(桜町)に、こういう者が数名おって、この数名のために私は心身を尽くして努力したものだ。そなたたちも、よく心得るがよい。
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二宮尊徳翁の話は農作業などを題材にしたたとえ話が多く、それだけ聞く側にとっては身近な体験と照らし合わせて理解しやすかったことだろう。
尊徳翁のコンサルティング手法は「仕法(しほう)」と呼ばれているが、このなかでは「何度でも繰り返し繰り返し行う」ことを大事なことだと考えている。
気づいたらその場ですぐに伝えること。言ったことが叶わなければ、何度でも言う。それでも駄目だとしても、あきらめずに言い続けるというのである。
それはこちらが諦めてしまえば、向こうも言われなくなったことに安心するだけで、本当にこちらが果たしたかったことは果たされていないからである。
「あの時言っただろう?」というのは実は何にもならない、そのときの思いつきに過ぎない。本当にさせたければ何度でも「あれはやったかい?」と聞かなくてはならないのだ。
すぐに弱気になってしまう自分への戒めとして受け止めたい。なかなかできない自分の弱さを超えるためにも。
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ロッテが怒濤の4連勝で日本一に!最近テレビを見なくなった私ですが、最後の瞬間はしっかりと見ました。
野球がどきどきするスポーツだと思ったのは久しぶりでした。おめでとう!