北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

中学校の吹奏楽部定期演奏会を聴いて

2005-10-16 23:53:18 | Weblog
 遠出をしない週末は久しぶりのような気がする。まとまった時間が取れたので、家の中の宿題をやることにしますか。

 今日は、
■パソコン回りの改造に取り組む
■中学校の吹奏楽部定期演奏会 の2本です。

【パソコン回りの改造に取り組む】
 光通信にしてから長くパソコンデスクの上に鎮座していた光ケーブルの通信機材を机の脇の空いたスペースに押し込むように造作をしようと、近くのホームセンターへ行く。

 大工さんに作ってもらった木製のパソコンデスクだが、ケーブルを通すためにドリルで穴を開けたりして準備をしておいて、ホームセンターでちょっとした棚をつくるような板やら棚を支えるL字型のステイなどを購入する。

 苦闘3時間で、なんとか工作に成功して、机の上が少しすっきりした。こんなことでもやろうと思うと3千円くらいすぐにかかってしまう。

 ちゃんとしたパソコンデスクを買えばよいのだろうけれど、家に合わせて作ったものなので重宝しているのだ。少しずつ環境を改善しようとするマインドは、パソコンを自作しようという気持ちに表れる。

 少しでも良い性能のものを少しでも安く手に入れたいという自然な欲求になかなか勝てないのだ。(そう言って実は安物のバルク品を買っては、「安物買いの銭失い」になっているのだが…)

    *   *   *   * 

 ついでにヘッドホンのスピーカーの根元部が割れてぶらぶらになって使い物にならなくなっていたものを修理する。音はちゃんと聞こえるので線が切れているわけではない。

 確か4千円くらいはしたものなので、「こんなことくらいで捨ててなるものか」という意地に燃える。

 瞬間接着剤とケーブルを束ねるときに使う結束材を使って、接着させながら離れないように縛り付けて固定してみるとうまく繋がった。

 いささか不格好だが機能は充分だ。まだまだこれからも良い音で楽しませてもらいますよ。


【中学校の吹奏楽部定期演奏会】
 午後は娘の通った琴似中学校の吹奏楽部による定期演奏会を聴きに行く。

 下の娘は吹奏楽で三年間よくがんばった。定期演奏会は中学校を卒業したOBやOGが参加しても良くて、娘も時折練習に参加していて、この定期演奏会の応援をするつもりでいたのだ。

 会場となった中学校の体育館は数百人の観客を迎えて、晴れがましい舞台となった。地域に音楽のサービスをしてそれを地域の人たちが楽しみにするという関係は美しいものがある。

 しかしこの時期の定期演奏会は同時に、三年生にはこれまでの総決算でもあり、そして引退のセレモニーでもあるのだ。

 今年転勤でやってきた吹奏楽部顧問である女性のK先生は、三年生一人一人の紹介とそれぞれの思い出を語りながら後援会から送られたプチ・ブーケを一人一人に手渡して行く。

 最後に今年の部長を紹介するところではおもわず涙にむせんで声が詰まる。見ている方もお互いに信頼を寄せ合う師弟関係を羨ましく思う感動の場面である。

 最後に卒業生も含めて全員で思い出の曲を演奏して感動のうちに演奏会は終了した。なかなか楽しくて良い演奏だった。

    *   *   *   * 

「趣味はなんですか?」と訊かれて「音楽です」と答えられる人生はいいな。そして音楽をこうして楽しむことを許されている社会は本当に幸せだ。

 以前信州松本にいたときに、上田市にある戦没画学生の作品を集めた「無言館」という美術館に行った事がある。

 絵を描きたくてたまらなかったはずの多くの若い学生が、戦地に赴いて描きかけのまま遺作になってしまった作品や、(もう絵を掛けるのも最後かも知れない)と思いながら描いたであろう多くの作品の前には声が出なくなる。

 これらを見て戦争を憎むだけでなく、自分たちの社会が戦争をしなくて済むように懸命に努力をしなくてはならないのだ、ということに気づきたいものだ。

 今月初めには国勢調査があったけれど、全国でトラブルが続出したときに、マスコミはこぞって「個人情報保護の趨勢に国勢調査がもはや合わないのではないか」と論じたり、調査のトラブルをあげつらって、悩み困っている役場の姿を書き立てていた。

 我々が地域社会の中で安心安全に生活出来るのも、地域社会の信頼ネットワークの恩恵を被っているわけで、そのことに自分自身も参加して義務を果たさずに、果実だけをいただこうとする姿勢をどう思うのだろうか。

 私たち自身が社会を信頼に満ちた安心出来る社会づくりのためのプレイヤーなのであって、決してテレビの前の観客ではいられないのだ、という大きな価値を認め、覚悟する、自立した生き方を実践しなくては行けないというのに。

 そういう社会づくりのために自分が「何を譲れるのか」を考えたいものだ。

    *   *   *   * 

 ビデオのファインダー越しに、知らないところで成長している子供たちの姿を見ることができた。我々はこの幸せを何に対して感謝すればよいのだろうか。
 
コメント
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