三連休の二日目は嫁さんとドライブ。紅葉が見えたらよいと思いつつ、先日行きそびれた平取の施設を訪ねようとドライブ。快晴の朝を一路平取に向かってデリカを走らせました。
今日は、
■義経神社を訪ねる
■二風谷アイヌ資料館を訪ねる の2本です。
【義経神社を訪ねる】
まずは平取町にある義経神社をお訪ねする。義経神社は石の階段が何段もあって一段ずつ登ると息が切れる。
優れた武将の義経だけあって、牧場関係者が馬の成長や勝利を祈る幟が何本も立てられていて、地元の信心の深さが伺える。
源九郎判官義経は兄頼朝と仲違いをしてごく少数の配下と共に逃避行をする羽目となり、奥州平泉に逗留しているところを襲われ、衣川の戦いで敗れ自決した、と歴史は教えてくれる。
しかし東北から北海道にかけては多くの義経伝説が伝わっていて、実は衣川の戦いで首を取られた武将は替え玉で本物はさらに逃避行を続けたと信じている人やそう望んでいる人が多いのである。
北海道に「弁慶」という地名が多く登場することを上げる人もいるが、それはアイヌ語にペンケ(上流の)という地名でよく使われる単語があるからだ、というのがもっぱらの説明になっている。
しかしここ平取の義経伝説は、それらとはまた一風変わっている。それは18世紀末に幕吏近藤重蔵守重がこの地を訪れた際に、地元のアイヌ達が伝説の神オキクルミカムイの化身として義経を慕っているということを知って、寛政十(1798)年に御尊像を寄進したことでこの神社が創立されたという由来である。
義経はこの地で数年を過ごし、地元のアイヌの人達を愛し、衣食住なかでも食では栗・粟・ヒエの耕作教化を広めたとされている。
伝説の義経はこの地をたった後は西海から大陸へ渡ったということになって義経ジンギスカン説につながるので、話はさらに大きくなる。
ロマンのかけらもない歴史家によると、幕府がアイヌ達の信頼を得るためにオキクルミカムイと義経を結びつけて人心の掌握に努めたため、と説明をするようだ。
その真偽の程を確かめる術はないが、道内の他の義経伝説と共に歴史のロマンを感じさせる話である。
義経神社の参道には山栗がたくさん落ちていて、ご神木も栗の大木である。いかに栗がこの地の食生活を潤したかも推し量れることだろう。
ちなみに栗はアイヌ語でもクリという。栗という植物がアイヌ世界の外から入ってきたことを推測されるお話しでもある。
一度お訪ねすることをお勧めします。
【二風谷アイヌ資料館を訪ねる】
義経神社を後にすると、次は二風谷で国道を右に入って萱野茂さんの二風谷アイヌ資料館を訪ねる。
ここはアイヌ民族文化研究家の萱野茂さんが収集し続けてきたアイヌ民具を展示し、同時にアイヌ語やアイヌ文化を知らしめる拠点としての役割を保ち続けているところである。
入り口で「国道の反対側にある、町立二風谷アイヌ文化博物館とのセット券もありますが」と言われ、セット券を購入する。セット券ならば400円の入園料二カ所が700円になるのである。
さて館内は、萱野さんが集められた民具がまさに所狭しと並べられていて、なんだかもったいない感じ。
道内の地域ごとに異なる衣服の刺繍文様のコレクションなどは必見である。
ところどころに萱野さんの文章によるアイヌの人達の宗教観や歴史、文化などの紹介があって、私などはこれにも目を奪われて思わず読みふけってしまう。アイヌの人達の自然観には考えさせられることが多い。
※ ※ ※ ※
館内にはビデオもあって、受付のお嬢さんにお願いをすると見せて下さるというので、熊送りの儀式であるイヨマンテを見せてもらおうとお願いをした。すると、イヨマンテのビデオはⅠとⅡの二巻があるということだったが、熊送りの儀式そのものが写っているのはⅡ巻の方だというのでそれを見せてもらうことにした。
映像では準備段階を終えて、いよいよ熊送りをする直前からフィルムがスタートした。
質問をするアナウンサーに若かりし萱野さんが答えるという形の掛け合いで場面が展開して行く。
熊は生後1年から2年くらいの小熊を捕まえて1年ほど大事に可愛がって育てるのだそうだ。そうして儀式の一週間くらい前からは人間界の餌は与えずに絶食状態に置くのだが、これは熊の神様の国に帰ってからすぐに神の国の食物に慣れるように、信じているからなのだそうだ。
いつの間にか、我々夫婦の後ろには3人連れのご家族も椅子を寄せて画面に見入っている。
やがて丸太でこしらえられた檻の中にいる小熊に対して、上から首輪をつけて3本の縄で引っ張れるような用意がされる。準備が出来ると、檻の底を抜いて熊が落ちてくる。小熊と言っても体長は1.2mほどはあるし力もある。暴れると画面からでも怖さが伝わってくる。
この3本の縄で動けなくなっている小熊に向かって、最初は子供から弓矢を打ち込むのである。その距離は1mくらいの至近距離で、絶対にはずすことのない距離だ。
やがて大人も矢を打ち込んで最後には小熊は絶命するのだった。我々の後ろからは「あらま、残酷なことをするねえ」という声が聞こえ始める。
今度は絶命した熊の皮を剥ぐ。ビデオは記録映像としての側面が強いので皮を切り開いて血が出るシーンも平気で見せる。
皮を剥ぐのだが、頭だけはそのままにして頭部と頭から下の皮の姿になってしまった。後ろのお三方はげんなりしている。
やがて頭部も耳と鼻を残して皮を剥がし、舌や脳髄を取り出す段になるともう後ろの方達はそそくさといなくなってしまった。
※ ※ ※ ※
ここまで見ていながら、この段階で席を立ってしまうと「アイヌ人は残酷なことをする」というイメージだけが伝わってしまうことだろう。実に残念なことだ。
※ ※ ※ ※
舌も脳髄も目も取り出された熊にはイナウという木を削ってお払いの御幣のようにしたものが詰め込まれる。イナウで飾り付けられた熊には、ほかにも短刀が添えられたり、団子や鮭などの食べ物がどっさりとお土産として持たされたりする。
そして木のへらでなんどもお酒を飲ませてもらって、まさに村人を上げてお別れのおもてなしをしているのである。
その翌日の朝には頭部や解体された手や足を木にぶらさげられた祭壇でお祈りと共に、東の方向に花矢が放たれるのとともに熊の魂は神の国へまっすぐに帰って行くのだという。氷点下23℃という厳寒の中の荘厳な儀式であった。
※ ※ ※ ※
熊の神の国に帰った小熊の神は、「おや、長く見なかったがどうした?」と訊かれることだろう。そのときに小熊は「人間の世界にいたけれど、毎日可愛がってもらえて、おまけにこうして帰ってくるときにはこんなにお土産を持たせてくれたよ。とっても良いところだったよ」と報告してくれるに違いない。
それを聞いて熊の神達が「そうかぁ、そんなに良いところなのか。よーし、俺も行ってみよう」と思ってくれればこちらのもの。
熊は、最高の食物である肉が暖か衣服になる毛皮を着て、おまけに熊の胃という薬まで人間界にもたらせてくれる大変ありがたい神なのである。
アイヌの神は、人間の役に立つためにこの世に現れるのであって、ありがたくいただくのがこの世にいる者の務めである。そうしてまた同時に、せっかく現れてくれた神を粗末にして利用せずにいたりすると、怒って現れてくれなくなってしまうと信じられているのである。
「全てのものには魂がある」と信じる、単なるアニミズムとは一線を画すカミ観と言えよう。
だから、ビデオを途中で離れてはいけなかったのだ、と思う。あの一件残酷なシーンから続く、熊の神に対する真剣な信仰の姿を見なくては行けないのだ。実に残念なことだったと言えよう。
もっとも、この巻だけで55分のビデオは私にとっては興味深かったけれど、一般のお客さんにとっては長いと感じてしまうかも知れない。見せ方に工夫がなければ誤解だけを広めかねないという意味で、短時間編などもあった方がよいかも知れない。
真実と大衆を結びつけるには、良き通訳者が必要なのだ。送り手側が真剣であればあるほど、受け手との間にギャップが生じるものだ。
それを上手に取り持つ通訳者の存在は大きなものがあると言えよう。
※ ※ ※ ※
続いて国道の反対側にある町立二風谷アイヌ文化博物館の方を訪ねてみたが、こちらはさすがに後からできただけのことはあって、「くらし」「神」「大地のめぐみ」といった分類で上手に展示構成がなされている。
萱野さんの所蔵品をプロの展示屋さんが見せたというところだろう。
しかし、綺麗すぎてなにか伝わらない悔しさみたいなものが返って私には感じられなかった。文化を淡々と展示しているだけでは、歴史の重みや深さや情念が伝わらないように思えたのだった。
まさにアイヌ文化は北海道遺産だ。磨かず光らない財産だ。そのことを知ることから始めよう。
イヤイライケレー(ありがとう)
今日は、
■義経神社を訪ねる
■二風谷アイヌ資料館を訪ねる の2本です。
【義経神社を訪ねる】
まずは平取町にある義経神社をお訪ねする。義経神社は石の階段が何段もあって一段ずつ登ると息が切れる。
優れた武将の義経だけあって、牧場関係者が馬の成長や勝利を祈る幟が何本も立てられていて、地元の信心の深さが伺える。
源九郎判官義経は兄頼朝と仲違いをしてごく少数の配下と共に逃避行をする羽目となり、奥州平泉に逗留しているところを襲われ、衣川の戦いで敗れ自決した、と歴史は教えてくれる。
しかし東北から北海道にかけては多くの義経伝説が伝わっていて、実は衣川の戦いで首を取られた武将は替え玉で本物はさらに逃避行を続けたと信じている人やそう望んでいる人が多いのである。
北海道に「弁慶」という地名が多く登場することを上げる人もいるが、それはアイヌ語にペンケ(上流の)という地名でよく使われる単語があるからだ、というのがもっぱらの説明になっている。
しかしここ平取の義経伝説は、それらとはまた一風変わっている。それは18世紀末に幕吏近藤重蔵守重がこの地を訪れた際に、地元のアイヌ達が伝説の神オキクルミカムイの化身として義経を慕っているということを知って、寛政十(1798)年に御尊像を寄進したことでこの神社が創立されたという由来である。
義経はこの地で数年を過ごし、地元のアイヌの人達を愛し、衣食住なかでも食では栗・粟・ヒエの耕作教化を広めたとされている。
伝説の義経はこの地をたった後は西海から大陸へ渡ったということになって義経ジンギスカン説につながるので、話はさらに大きくなる。
ロマンのかけらもない歴史家によると、幕府がアイヌ達の信頼を得るためにオキクルミカムイと義経を結びつけて人心の掌握に努めたため、と説明をするようだ。
その真偽の程を確かめる術はないが、道内の他の義経伝説と共に歴史のロマンを感じさせる話である。
義経神社の参道には山栗がたくさん落ちていて、ご神木も栗の大木である。いかに栗がこの地の食生活を潤したかも推し量れることだろう。
ちなみに栗はアイヌ語でもクリという。栗という植物がアイヌ世界の外から入ってきたことを推測されるお話しでもある。
一度お訪ねすることをお勧めします。
【二風谷アイヌ資料館を訪ねる】
義経神社を後にすると、次は二風谷で国道を右に入って萱野茂さんの二風谷アイヌ資料館を訪ねる。
ここはアイヌ民族文化研究家の萱野茂さんが収集し続けてきたアイヌ民具を展示し、同時にアイヌ語やアイヌ文化を知らしめる拠点としての役割を保ち続けているところである。
入り口で「国道の反対側にある、町立二風谷アイヌ文化博物館とのセット券もありますが」と言われ、セット券を購入する。セット券ならば400円の入園料二カ所が700円になるのである。
さて館内は、萱野さんが集められた民具がまさに所狭しと並べられていて、なんだかもったいない感じ。
道内の地域ごとに異なる衣服の刺繍文様のコレクションなどは必見である。
ところどころに萱野さんの文章によるアイヌの人達の宗教観や歴史、文化などの紹介があって、私などはこれにも目を奪われて思わず読みふけってしまう。アイヌの人達の自然観には考えさせられることが多い。
※ ※ ※ ※
館内にはビデオもあって、受付のお嬢さんにお願いをすると見せて下さるというので、熊送りの儀式であるイヨマンテを見せてもらおうとお願いをした。すると、イヨマンテのビデオはⅠとⅡの二巻があるということだったが、熊送りの儀式そのものが写っているのはⅡ巻の方だというのでそれを見せてもらうことにした。
映像では準備段階を終えて、いよいよ熊送りをする直前からフィルムがスタートした。
質問をするアナウンサーに若かりし萱野さんが答えるという形の掛け合いで場面が展開して行く。
熊は生後1年から2年くらいの小熊を捕まえて1年ほど大事に可愛がって育てるのだそうだ。そうして儀式の一週間くらい前からは人間界の餌は与えずに絶食状態に置くのだが、これは熊の神様の国に帰ってからすぐに神の国の食物に慣れるように、信じているからなのだそうだ。
いつの間にか、我々夫婦の後ろには3人連れのご家族も椅子を寄せて画面に見入っている。
やがて丸太でこしらえられた檻の中にいる小熊に対して、上から首輪をつけて3本の縄で引っ張れるような用意がされる。準備が出来ると、檻の底を抜いて熊が落ちてくる。小熊と言っても体長は1.2mほどはあるし力もある。暴れると画面からでも怖さが伝わってくる。
この3本の縄で動けなくなっている小熊に向かって、最初は子供から弓矢を打ち込むのである。その距離は1mくらいの至近距離で、絶対にはずすことのない距離だ。
やがて大人も矢を打ち込んで最後には小熊は絶命するのだった。我々の後ろからは「あらま、残酷なことをするねえ」という声が聞こえ始める。
今度は絶命した熊の皮を剥ぐ。ビデオは記録映像としての側面が強いので皮を切り開いて血が出るシーンも平気で見せる。
皮を剥ぐのだが、頭だけはそのままにして頭部と頭から下の皮の姿になってしまった。後ろのお三方はげんなりしている。
やがて頭部も耳と鼻を残して皮を剥がし、舌や脳髄を取り出す段になるともう後ろの方達はそそくさといなくなってしまった。
※ ※ ※ ※
ここまで見ていながら、この段階で席を立ってしまうと「アイヌ人は残酷なことをする」というイメージだけが伝わってしまうことだろう。実に残念なことだ。
※ ※ ※ ※
舌も脳髄も目も取り出された熊にはイナウという木を削ってお払いの御幣のようにしたものが詰め込まれる。イナウで飾り付けられた熊には、ほかにも短刀が添えられたり、団子や鮭などの食べ物がどっさりとお土産として持たされたりする。
そして木のへらでなんどもお酒を飲ませてもらって、まさに村人を上げてお別れのおもてなしをしているのである。
その翌日の朝には頭部や解体された手や足を木にぶらさげられた祭壇でお祈りと共に、東の方向に花矢が放たれるのとともに熊の魂は神の国へまっすぐに帰って行くのだという。氷点下23℃という厳寒の中の荘厳な儀式であった。
※ ※ ※ ※
熊の神の国に帰った小熊の神は、「おや、長く見なかったがどうした?」と訊かれることだろう。そのときに小熊は「人間の世界にいたけれど、毎日可愛がってもらえて、おまけにこうして帰ってくるときにはこんなにお土産を持たせてくれたよ。とっても良いところだったよ」と報告してくれるに違いない。
それを聞いて熊の神達が「そうかぁ、そんなに良いところなのか。よーし、俺も行ってみよう」と思ってくれればこちらのもの。
熊は、最高の食物である肉が暖か衣服になる毛皮を着て、おまけに熊の胃という薬まで人間界にもたらせてくれる大変ありがたい神なのである。
アイヌの神は、人間の役に立つためにこの世に現れるのであって、ありがたくいただくのがこの世にいる者の務めである。そうしてまた同時に、せっかく現れてくれた神を粗末にして利用せずにいたりすると、怒って現れてくれなくなってしまうと信じられているのである。
「全てのものには魂がある」と信じる、単なるアニミズムとは一線を画すカミ観と言えよう。
だから、ビデオを途中で離れてはいけなかったのだ、と思う。あの一件残酷なシーンから続く、熊の神に対する真剣な信仰の姿を見なくては行けないのだ。実に残念なことだったと言えよう。
もっとも、この巻だけで55分のビデオは私にとっては興味深かったけれど、一般のお客さんにとっては長いと感じてしまうかも知れない。見せ方に工夫がなければ誤解だけを広めかねないという意味で、短時間編などもあった方がよいかも知れない。
真実と大衆を結びつけるには、良き通訳者が必要なのだ。送り手側が真剣であればあるほど、受け手との間にギャップが生じるものだ。
それを上手に取り持つ通訳者の存在は大きなものがあると言えよう。
※ ※ ※ ※
続いて国道の反対側にある町立二風谷アイヌ文化博物館の方を訪ねてみたが、こちらはさすがに後からできただけのことはあって、「くらし」「神」「大地のめぐみ」といった分類で上手に展示構成がなされている。
萱野さんの所蔵品をプロの展示屋さんが見せたというところだろう。
しかし、綺麗すぎてなにか伝わらない悔しさみたいなものが返って私には感じられなかった。文化を淡々と展示しているだけでは、歴史の重みや深さや情念が伝わらないように思えたのだった。
まさにアイヌ文化は北海道遺産だ。磨かず光らない財産だ。そのことを知ることから始めよう。
イヤイライケレー(ありがとう)