駒子の備忘録

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劇団チョコレートケーキ『追憶のアリラン』

2022年08月23日 | 観劇記/タイトルた行
 東京芸術劇場シアターウエスト、2022年8月18日18時半(初日)。

 1945年8月、朝鮮半島は35年の長きにわたる日本の支配から解放された。喜びに沸く半島で、在朝の日本人は大きな混乱に巻き込まれた。拘束され、裁かれる大日本帝国の公人たち。罪状は「支配の罪」…ひとりの日本人官僚の目を通して語られる、命の記憶の物語。
 脚本/古川健、演出/日澤雄介。2015年初演、全1幕。[生き残った子孫たちへ 戦争六篇]のうちの一作。

治天ノ君』を観たくらいの劇チョコ初心者ですが、その後もずっと気にはなっていて、グンちゃんご出演とあって出かけてきました。
 日本の韓国併合に関してはもちろん学校でも習いましたし、私が韓ドラにハマっていたのは2001年からの十年ほどですがロケ地だけでなくひととおりの観光もして、DMZなども訪れたしそのときもいろいろ勉強したつもりです。だから大日本帝国の軍人が悪者とされるのはわかる、でももっと一般的(?)な公務員について思いをはせたことはあまりなく、いろいろと考えさせられました。劇作家の母方の祖父はこの物語の主人公の豊川千造(佐藤誓)と同様、実際に当時のピョンヤンで(ポメラは「ピョンヤン」って打つとすぐ「平壌」と変換するんだ、すごいな…)検事を務め、終戦後は拘束され、帰国後は晩酌しながらアリランを口ずさんでいた人だそうです。グンちゃんはその奥さんの咲子(月影瞳)さん役でした。
「内鮮一体」という用語は私は今回初めて知ったのですが、「大東亜共栄圏構想」同様、平和を謳うならまずおまえが出て行けという、盗っ人たけだけしい理論ですよね。観劇の参考資料としてロビーに置かれたプリントに用語解説があり、共栄圏に関して「太平洋戦争を正当化する日本の理論」と一刀両断で、胸がすきました。「アジアから欧米を追い出し、アジア全体で栄えよう」というのはわからなくもないけれど、まず自治や独立、そして連帯が大事なのであり、その先には欧米を敵とみなすこともおかしいという考え方があるはずで、こんなもの今考えれば当時の日本がお山の大将になるためのおためごかしにすぎない、とわかります。
 でも当時、ある種の理想論として、また現実的な対処法として、あるいはごく素朴な善意として、人種とか関係ないでしょ、平等でしょ、一緒に仲良くしようよ…と動いた人たちがいた、というのもわかります。そしてそれがそのとおり受け入れられることも、逆にいっそうの反発を被ることがあることも、わかります。そんなドラマを描いた物語でした。登場人物全員にそれぞれの考え方が、生き様があり、どれもわかる気がして、観ていて苦しい、心揺さぶられる物語でした。
 検事四人でも、立場やキャラクターがいろいろと違う。四席検事で、両親は日本生まれ日本育ちの日本人でその間に生まれているから日本人なんだろうけれど朝鮮生まれで日本の地は踏んだことがない、という川崎豊彦(渡邊りょう)の在り方は、特に興味深いなと思いました。この物語にはいわゆるハーフのキャラクターは出てきませんでしたし、すべて日本語で上演されているので言葉の問題も扱っていませんでしたが(俳優もすべて日本人なのだろうし)、人種ってなんだろう、「~国人」ってなんだろう、民族や文化や言葉が固有なら独立しているということなのか、でもそれは混ざることも変わることもあるだろう…とか、考え出すともうぐちゃぐちゃになることばかりなのでした。現にこの時点では大韓帝国という国はもはやなく、なのですべて「大日本帝国」の国民(臣民?)のはずで、なのに朝鮮人のなんのと言われて区別、差別される、って何…?って話ですし、そのあと朝鮮は同じ人種、文化、言葉を持ちながら南北のふたつの国家に分断されるわけです(そしてそれは今もなお続いている…)。何もかもが理不尽すぎる気がします。
 そんな中で、豊川さんが朴忠男(浅井伸治)を「ぼくさん」ではなく「パクさん」と呼び、普通に、親切に応対したのは、何故なのでしょうか。作品では特に理由は語られておらず、単にそういう人柄であるとか、彼がまあまあリベラルでまっとうな人であるとか、そういうふうにされています。一方で、立場故というものもあるだろうけれど明らかにアタマが悪い、人が悪い感じの憲兵隊長・荒木福次郎(佐瀬弘幸)みたいな、それこそ同胞相手でも頭ごなしに相手を下に見て横暴に振る舞う人間もいる。そしてさらにもう一方の人民裁判側だって、いろいろな立場のいろいろな考え方の人間がいて、一長一短で、今の私たちの目から見てわかる部分も、それはダメだよって部分も、ヤバい今もこうかもって部分もある。さらにさらに、裁判の証人になる朝鮮人父娘たちもまたそれぞれ違うことを考え、言う…そんな、みんなそれぞれの正義が、理想が、信念が、良心が、打算が、保身が、ぶつかる物語として、圧巻なのでした。
 まあちょっと、緩急がないというか焦点がわかりづらい感じはあって、気持ち長く感じたというか、集中力や求心力に欠けて見える部分もあった…かな、とは感じなくもなかったのですが、これは私の問題や、これから舞台が練れてくるとまた違うのかもしれません。
 それにしても、7年を経ての再演で、「劇中で行われている事と現在の情勢があまりにも酷似していることに驚きを感じ、何も変わっていない事を痛感します。残念です」と演出家が語るとおり、今まさに再演されるべき演目で、未だ刺さるところの多い作品なのでした。特に荒木さんの戦後の変わり身の感じとか、もう情けなくてホントつらかったです。客席から立ち上がって「帰れ!」と叫びたいくらいでした。ここでの咲子さんの動きはさすがすぎました。まあ女性キャラクターにこういうことばかりさせるなよ、ってのはなくもないけれど…ともあれ荒木さんが選挙に出るのは絶対に地元のためとか国のためではない、自分の名誉や虚栄や権勢やお金のためだ、と丸わかりの醜悪さがもう、ドラマとしてはサイコーでしたが、ホント「今」を感じさせて絶望的でした…
 舞台が三層に別れて見える作りで(舞台美術/長田佳代子)、奥と手前は川を挟んだ対岸のようにも見えました。開演前、その間に置かれて照明が当てられた机が朝鮮半島のように私には見えましたが、ラストは一部を除いたキャストがまた机を移動させてその形を作り、そこを朴さんが歩いて行く…というところで暗転して終わる演出でした。彼は生きて南北を移動して、今もソウルないしピョンヤンで元気にしているに違いない…と思えるラストだったのかな、と思いました。感動的でした。
 そのあとのラインナップで、奥の舞台から手前の舞台に出てくるグンちゃんに佐藤さんが手を貸しているのにキュンとしました(^^)。
 良き舞台でした。

 次回作は来年7月、1990年の日本の、特撮ヒーローものを制作する会社を舞台にした物語だそうです。私得すぎる…私は92年入社なので、私よりちょっと上の世代の男性クリエイターたちの物語になるのかな? 興味深いです。「自分たちの仕事が所詮は過去の名作の焼き直しにすぎないことに忸怩たるものを感じ」って、むしろなう、今ですよね。今アラフィフくらいで会社の中で発言権があって過去に自分がハマったものの焼き直しを企画している人たち、山ほどいますもんね…でもこれは30年前の物語なので、当時は今とは違うまた別の事情なりなんなりがあったのでしょうか…観てみたいと思います!

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