●伊藤貢作● Kousaku Itoh(河原和音『先生!』/集英社マーガレットコミックス全20巻)
余裕で、なんでもわかってて、何があっても平気に見えて。
「オレなんか好きになって/17歳から20歳位の女としていちばんいいときムダにするこたねえよ」
南高校の社会科教師。26歳。秋生まれ。家族は両親と姉。背が高くて電柱のよう。競馬と野球と麻雀が趣味。愛煙家。自称女嫌い、年上好み。理想の女性は沢口靖子といいときのダイアナ妃。視力は裸眼で0.1ない。コーヒーは砂糖たくさん、ミルク1滴。通った高校は男子校。ひとりでものを考えたいときは河川敷に行く癖がある。愛車はスバル。
いわゆる「彼女」というものについて、「いないよりはいた方がいいけど/面倒くさい」という考え方の持ち主だが、高校生のときには高校生なりの、大学生のときには大学生なりのつきあいをしてきた。新任教師のころは卒業直後の元教え子とつきあったこともあった。そして今、9歳年下の担任の生徒とつきあっている。自他ともに、生徒とつきあうようなタイプでないと認めていたのに。
「女が「好きだ」と言うのを/信じてもいいと思ったのは島田が初めてだ」ったから…
少女漫画でヒロインの相手役が眼鏡をかけていることはなかなか少ないが、かけていたとしてもそれは「メガネくん」ではない場合が多い。メガネくんには恋愛はあまり似つかわしくないからだ。
伊藤先生は微妙なところだと思っていた。
彼の眼鏡は、学生であるヒロインやその友人たちに対して大人であることの象徴だったろう。当初は眼鏡をズレ気味にかけていたし(「めがねっ子」の典型的表現である)、ラブラブしているときはけっこうするし、ちょいと怠惰なメガネ兄さん、の範疇だろうか、と思ってきた。だが、中盤以降の激動の展開で表れたその意外な不器用さ、真面目すぎなところが、やっぱりメガネくんなんじゃんこの人、という感じだ。
ヒロインは親友に「真面目すぎでバカすぎで考えすぎ」とぐさぐさ突っ込まれているが、それは先生にも言えることなのだ。彼は自分がそして周りが思っているほど大人じゃないのだ。考えづらいことを考えないで適当にすませたり、考えたいように考えて強引に押し切ったりということが意外とできない人なのだ。
彼はずっと恋人に後ろめたく感じ続けてきた。そのことを考えて考えて、そして、とうとう身を引いてしまう。そんな必要はないと、わかっていながら。そのままだと、ただただ自分が苦しいから。
この脆弱さ、繊細さ、真面目さは、まさしくメガネくんだ!
このあたりの展開では、私は内心叫びっぱなしだった。誰か彼にそれじゃイカンと言ってやってくれ! 逃げるな、目を覚ませ、戦えと言ってやってくれ!! 頼む!! と…
いや、本当は、逃げてもいいのだ。かつて一度ヒロインも逃げた。そしてまた彼のところへ戻ったのだ。人は誰でも迷うものだし、女に一度は逃げることが許されたのだったら男にだって許されていいのだ。でも多分、彼は逃げていても楽にはならない。苦しさは変わらないか、むしろ増すだろう。ヒロインもそうだった。端で見ている我々にはそれがもうわかっているのだ。そして我々は(ってみんなにしちゃうが)彼が好きだから、つらそうな彼を見ているのがつらいのだ。幸せでいてほしいのだ!
もちろん、物語的に、どんな紆余曲折があろうと最後には大団円になるであろうことはわかっていたが、それでもなお、心配だった。ああ、こんなにも私の心を締め付けるなんて、悪い男だぜメガネくんってヤツぁ!!
そして、作品はきれいに、美しく、大団円を迎えて完結した。伊藤先生もまた立派なメガネくんとして卒業していった。満足、満足。胸に残るは彼の面影だけである。
恋人のどこが特別なのかと聞かれて、「普通だと思うけどな」と答えて浮かべる笑み(すでにこの時点で心情的には恋敵の位置に立っている相手を、微笑ませることができるほどの笑みなのだ)。
どうしたらいいか考えるために、あるいは何も考えないために、勤務をサボって出かけた河川敷で浮かべる茫漠とした無表情。
「ただのサボリ」
と答えるときの寂しい笑み。
自分の意気地のなさを笑う苦笑い。
「きちんと別れよう」
と告げたときの、むしろ自分の心の方が壊れてしまっている、冷たい瞳。
自分の本音が見えるように活を入れてくれた相手に対して浮かべた感謝の笑み。そしてそのあとすぐ眼鏡をかけるところ。
照れ笑いして鼻をこする仕草。
失くしたら耐えられないもの、それを失う怖さを思い返すときの恐怖と痛恨。
珍しく顔を赤らめたりして言う「好きだよ」。
心配してくれた人に見せる謝罪と感謝の笑み。
「寒いな」
なんてあたりまえのことを言うときの優しい笑顔。
心ない言葉で生徒を傷つける教師に向ける冷たい怒りの視線。
もしかしたら受験に合格した本人よりもうれしそうな、満面の笑顔。
照れもせずすごくきれいに笑って言う「ほんとだ」の、最後の笑顔…ああ、うっとり。メガネくんよ永遠なれ!
「伊藤先生 俺は今まであんたのことを/スカしてて人の心を持ってない嫌な男だと思ってました!!」
すごい言われようの伊藤先生だが、意外と男友達は多そうなのである。先生自身はどうでもいいと思っているかもしれないが。
思えば単行本最終巻に収録された番外編の『先生14』もなかなかに興味深い。こういう中坊時代を経て、男子校で多くの友達にわいわい囲まれる高校生になる彼があったのだなあと、しみじみと想う。そして、運命なんてつまらない言葉は使いたくないけれど、そんなような出会いがめぐってきたのだなあと。そして、こんなふうに友人にも恵まれた?今がある。
彼のこれからの人生の幸福を私は願ってやまない。(2003.11.11)
余裕で、なんでもわかってて、何があっても平気に見えて。
「オレなんか好きになって/17歳から20歳位の女としていちばんいいときムダにするこたねえよ」
南高校の社会科教師。26歳。秋生まれ。家族は両親と姉。背が高くて電柱のよう。競馬と野球と麻雀が趣味。愛煙家。自称女嫌い、年上好み。理想の女性は沢口靖子といいときのダイアナ妃。視力は裸眼で0.1ない。コーヒーは砂糖たくさん、ミルク1滴。通った高校は男子校。ひとりでものを考えたいときは河川敷に行く癖がある。愛車はスバル。
いわゆる「彼女」というものについて、「いないよりはいた方がいいけど/面倒くさい」という考え方の持ち主だが、高校生のときには高校生なりの、大学生のときには大学生なりのつきあいをしてきた。新任教師のころは卒業直後の元教え子とつきあったこともあった。そして今、9歳年下の担任の生徒とつきあっている。自他ともに、生徒とつきあうようなタイプでないと認めていたのに。
「女が「好きだ」と言うのを/信じてもいいと思ったのは島田が初めてだ」ったから…
少女漫画でヒロインの相手役が眼鏡をかけていることはなかなか少ないが、かけていたとしてもそれは「メガネくん」ではない場合が多い。メガネくんには恋愛はあまり似つかわしくないからだ。
伊藤先生は微妙なところだと思っていた。
彼の眼鏡は、学生であるヒロインやその友人たちに対して大人であることの象徴だったろう。当初は眼鏡をズレ気味にかけていたし(「めがねっ子」の典型的表現である)、ラブラブしているときはけっこうするし、ちょいと怠惰なメガネ兄さん、の範疇だろうか、と思ってきた。だが、中盤以降の激動の展開で表れたその意外な不器用さ、真面目すぎなところが、やっぱりメガネくんなんじゃんこの人、という感じだ。
ヒロインは親友に「真面目すぎでバカすぎで考えすぎ」とぐさぐさ突っ込まれているが、それは先生にも言えることなのだ。彼は自分がそして周りが思っているほど大人じゃないのだ。考えづらいことを考えないで適当にすませたり、考えたいように考えて強引に押し切ったりということが意外とできない人なのだ。
彼はずっと恋人に後ろめたく感じ続けてきた。そのことを考えて考えて、そして、とうとう身を引いてしまう。そんな必要はないと、わかっていながら。そのままだと、ただただ自分が苦しいから。
この脆弱さ、繊細さ、真面目さは、まさしくメガネくんだ!
このあたりの展開では、私は内心叫びっぱなしだった。誰か彼にそれじゃイカンと言ってやってくれ! 逃げるな、目を覚ませ、戦えと言ってやってくれ!! 頼む!! と…
いや、本当は、逃げてもいいのだ。かつて一度ヒロインも逃げた。そしてまた彼のところへ戻ったのだ。人は誰でも迷うものだし、女に一度は逃げることが許されたのだったら男にだって許されていいのだ。でも多分、彼は逃げていても楽にはならない。苦しさは変わらないか、むしろ増すだろう。ヒロインもそうだった。端で見ている我々にはそれがもうわかっているのだ。そして我々は(ってみんなにしちゃうが)彼が好きだから、つらそうな彼を見ているのがつらいのだ。幸せでいてほしいのだ!
もちろん、物語的に、どんな紆余曲折があろうと最後には大団円になるであろうことはわかっていたが、それでもなお、心配だった。ああ、こんなにも私の心を締め付けるなんて、悪い男だぜメガネくんってヤツぁ!!
そして、作品はきれいに、美しく、大団円を迎えて完結した。伊藤先生もまた立派なメガネくんとして卒業していった。満足、満足。胸に残るは彼の面影だけである。
恋人のどこが特別なのかと聞かれて、「普通だと思うけどな」と答えて浮かべる笑み(すでにこの時点で心情的には恋敵の位置に立っている相手を、微笑ませることができるほどの笑みなのだ)。
どうしたらいいか考えるために、あるいは何も考えないために、勤務をサボって出かけた河川敷で浮かべる茫漠とした無表情。
「ただのサボリ」
と答えるときの寂しい笑み。
自分の意気地のなさを笑う苦笑い。
「きちんと別れよう」
と告げたときの、むしろ自分の心の方が壊れてしまっている、冷たい瞳。
自分の本音が見えるように活を入れてくれた相手に対して浮かべた感謝の笑み。そしてそのあとすぐ眼鏡をかけるところ。
照れ笑いして鼻をこする仕草。
失くしたら耐えられないもの、それを失う怖さを思い返すときの恐怖と痛恨。
珍しく顔を赤らめたりして言う「好きだよ」。
心配してくれた人に見せる謝罪と感謝の笑み。
「寒いな」
なんてあたりまえのことを言うときの優しい笑顔。
心ない言葉で生徒を傷つける教師に向ける冷たい怒りの視線。
もしかしたら受験に合格した本人よりもうれしそうな、満面の笑顔。
照れもせずすごくきれいに笑って言う「ほんとだ」の、最後の笑顔…ああ、うっとり。メガネくんよ永遠なれ!
「伊藤先生 俺は今まであんたのことを/スカしてて人の心を持ってない嫌な男だと思ってました!!」
すごい言われようの伊藤先生だが、意外と男友達は多そうなのである。先生自身はどうでもいいと思っているかもしれないが。
思えば単行本最終巻に収録された番外編の『先生14』もなかなかに興味深い。こういう中坊時代を経て、男子校で多くの友達にわいわい囲まれる高校生になる彼があったのだなあと、しみじみと想う。そして、運命なんてつまらない言葉は使いたくないけれど、そんなような出会いがめぐってきたのだなあと。そして、こんなふうに友人にも恵まれた?今がある。
彼のこれからの人生の幸福を私は願ってやまない。(2003.11.11)
注目したコマも解釈も全く同じで感動してついコメしてしまいました。
今も昔も理想のタイプは伊藤先生です笑
私もメガネくんが大好きで、先生ものは正直そんなに好みではないのですが、
この作品は未だ愛蔵しています…!
最新作も読んでいますが、この頃の絵の方が好きかなあ。
他のメガネくん作品コラムもゼヒどうぞ(^^;)。
●駒子●