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道聴塗説 その七 2

(散歩道のカラシナ)

午後、「古文書に親しむ(経験者)」に出かけた。近江屋への手紙2通を読み、今年度の講座を終る。一年目は何とか終えることが出来た。2年目も同じ顔触れだが、続けて行く。

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「道聴塗説 その七」の解読を続ける。

答う。口伝鈔の意は、初心の機の、臨終など悪相あらん事を危ぶみて、本願の強縁を疑うものに対して、凡計のありたけの障縁を挙げ、それにもさえ(添え)られざるは、他力の不思議なる事を示し、往生を決定せしむるなり。

かく仏知の不思議を信じて、安心決定して念仏する人は、愛別離苦等の悲歎もなく、往生浄土の果報近付くを、歓喜して念仏すること、かの覚信房の如し。然れば、臨終に至りて、妻子など引裂くるなどは、その往生する人の信心の浅深によるべし。決定心得たる人は、恩愛離別の障りもあるまじ。初心の人は過つことあるべし。
※ 恩愛(おんあい)- 夫婦・肉親間の愛情。また、それに対する執着。

口伝鈔の次文に、「別離等の苦に遇うて、悲歎せん族(やから)は、仏法の薬を勧めて、その思いを教誘(きょうゆ)すべき事」とある。一章によるに、これは往生の人に非ず。跡に残りし人の、死したる人を悲しむなり。されば、その悲歎する人をば、種々に諭して、悲歎の惑(まど)いも晴るゝようにすべしと示し給う。この意にて見れば、死に臨む人の恩愛などに引かれて悲歎せんをも、種々に諭して、惑いを解くべし。

何にもせよ、初心の人は死に臨みては、かかる悲歎あるべしと思えども、本願の強力は少しも障(さわ)られずして、往生すと信じたらば、大悲の仏恩を存じて念仏すべし。かく念仏するほどならば、臨終の悲歎の惑いも、仏智不思議の方より、除き給いて、めでたき往生を得べきなり。

さもなからん、初心の機、その惑いも見えたらば、跡に残る人を弔(とむら)う如くに、種々に法味を説いて、悲歎を除き、往生を喜ぶ様に勧むべきなり。ただに本願を募りて、悪に誇るは流義の旨に非ず。逆謗闡提、皆な往生すと募るは、仏智を信ずるなり。もし悪を募りて本願を頼みにするは大邪見なり。
※ 法味(ほうみ)- 仏法の深い味わいを、食物の美味にたとえていう語。
※ 募る(つのる)- ますます激しくなる。こうじる。
※ 逆謗闡提(ぎゃくぼうせんだい)-五逆謗法闡提の事です。これを「難化の三機・難治の三病」とも言う。
※ 五逆(ごぎゃく)- 五種の最も重い罪。一つでも犯せば無間地獄に落ちると説かれる。
※ 謗法(ほうぼう)- 仏法をそしり、真理をないがしろにすること。
※ 闡提(せんだい)- 一闡提。仏法を信じることなく、成仏の素質を欠く者。
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