平成18年に60歳を迎える。六十と縦に書くと傘に鍋蓋(亠)を載せた形である。で、「かさぶた(六十)日録」
かさぶた日録
道聴塗説 その七 6
今朝、新聞を見たら、何と稀勢の里が優勝していた。昨日千秋楽で、怪我で強行出場はしたものの、とても相撲を取るどころではないだろうと思い、敢えて千秋楽を見なかった。ところが本割、決定戦と照ノ富士を破り、13勝2敗で優勝していた。おめでとう。感動で、日本国中大フィーバーである。
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「道聴塗説 その七」の解読を続ける。
また、江府、湯島妻恋稲荷の辺りに小森氏と云う人あり。その祖父、次郎左衛門と申す。法名徳雲生歟主、国は勢州にて少壮にして江府に来り。兄弟共に渡世の業を務む。漸く富めり。壮年の比(ころ)より念仏を申し、三宝を信じ、その性、質直にして言語少なく、人に謟(うたが)うことなし。
※ 江府(えふ)- 江戸のこと。
※ 湯島妻恋稲荷(ゆしまつまごいいなり)- 東京都文京区にある妻恋神社。
既に居住も定まれば、持仏殿を求めんとて、弟、庄次郎と、同国の人に尾張屋長三郎と申すを、語らいて、持仏殿の事を告げれば、両人許諾して、翌日速かに求めて、徳雲に申すには、仏殿の直(ね)高くありしが、種々に長三郎が弁舌にて、拵えたれば、下直(げじき)に求め得たりと、手柄のように語りければ、徳雲はこれを求むるに付いて、両人往来の労を謝し、さて高直にもせよ、持仏殿を請(しょう)する世の売買の物と同じく、直に高下を論ぜんや。ただその売人の申す如く直を与うべしとて、思いの外に不興にてありき。両人甚だ慚愧せりとなん。
※ 慚愧(ざんき)- 自分の見苦しさや過ちを反省して、心に深く恥じること。
ある時に富士へ登りて、山上の石室に宿す。その夜、夢に威容端厳の女人、白き衣服を着し、手に錦の嚢(ふくろ)を持し、徳雲に告げて曰く、汝じ此処(ここ)に来ること甚だ善ろし。我れこれを汝じに授(さず)くとありければ、徳雲は夢に答えて曰く、某(それがし)申す、これに詣ずる事は、三国に並びなき名山なるを聞きて、一度登らんと願う故なり。曽(かつ)て、かゝる物を得んとて来たるに非ずと申しき。その時、かの女人は微笑して失せ給いき。見了(おわ)りて夢覚めぬ。その外にも奇異の事どもあれども、徳雲は口に顕わさず、深く慎しめり。
※ 威容(いよう)- 堂々とした、りっぱな姿。
※ 端厳(たんげん)- 姿などが整っていて威厳のあること。
かくて行年八十歳の夏に至り、病無くて衰え臥し、常に念仏口に絶えず。訪(と)う人あれども余言なく、念仏するばかりなり。もとより訪う人を嫌い、瞻病の人も多きを忌みき。平生西を枕として臥せり。六月廿五日に至りて頻りに人を呼びて、向うの壁を拝し、人々にもあれを拜せよと云いて、高声に念仏すること暫しなり。傍人の目には何も見えざりきとなん。
※ 瞻病(せんびょう)- 看病。
※ 傍人(ぼうじん)- そばにいる人。
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