平成18年に60歳を迎える。六十と縦に書くと傘に鍋蓋(亠)を載せた形である。で、「かさぶた(六十)日録」
かさぶた日録
宝井馬琴講演会
午後、銀行の新春講演会で浜松に出かけた。講師は講談の宝井馬琴氏、どんな話が出るのか楽しみであった。会場では前の方の席に着いた。プロフィールによると宝井馬琴氏は六代目で、清水出身だとあった。演題は「経営に生かす戦国武将の知恵」。
お正月だから、よもやメモなどを取って朝礼などに話そうなどと思わないように、気楽に聞いて欲しいと前置きして始めた。メモを取ろうと構えていた自分もボールペンをポケットにしまう。
NHKの大河ドラマのことから話が始まった。NHKから聞いてきた話として、視聴率の取れるのは忠臣蔵と豊臣秀吉で、逆に取れないのは平安から室町を扱ったものと幕末から明治のものだという。徳川家康も人気がない。
今年は「風林火山」、武田信玄の参謀の山本幹助が主人公だが、武田信玄の言葉に、常に勝ちつづけるためには軍勝は五分をもって上となし、七分を中、十分を下とする。五分の勝ちは次の戦いへの「励み」となり、七分の勝ちは「怠り」を生じ、十分の勝ちは「驕り」を生じる。事実信玄は数々の戦いを行ったが、負けたことがなかった。しかし、勝っても相手を徹底的に打ちのめすこともしなかった。
三方ヶ原の戦いでも、信玄は、敗走して浜松城に逃げ込んだ徳川家康を攻めることなく、上洛を目指して多米峠から新城へ抜けて、途中病に倒れることになる。(講談では鉄砲傷で亡くなる)
その信玄は「人は少し鈍なるものを使う」と言っている。切れ者に過ぎる者は人材としては好まなかった。
かって日本でもっとも高級な散髪屋の主人某は、東大出で大蔵官僚の親戚の青年の結婚式で挨拶をして、散髪屋で、世界でもっとも使われている剃刀はゾーリンゲンの剃刀である。人気の理由は切れすぎないからだという。切れすぎると髭だけでなく皮膚まで傷つけてしまう。人間も同じだと青年を諌める挨拶をした。
つまり宝井馬琴氏が言いたかったのは腹八分目が理想であると言いたかったのであろう。「腹八分目」というのは明治生まれの死んだ親父の口癖だったのを思い出した。講演会後の立食パーティでは腹八分目にして帰路に着いた。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )