平成18年に60歳を迎える。六十と縦に書くと傘に鍋蓋(亠)を載せた形である。で、「かさぶた(六十)日録」
かさぶた日録
初詣と年賀状
何事もなく新年が明けた。今年の年越しは女房と二人だけ、暮にはリフォームの片付けも重なって女房の疲れもピークに達しているようだ。
紅白のあと年越しそばを食べ、どうするかと女房に聞くと行くと言うので二人で大井神社に初詣に出かけた。去年より30分ほど遅く、もう年が明けて30分経っている。大井神社もピークを過ぎたらしくて、駐車も出来、行列も参拝後に見ると行列がずいぶん短くなっていた。
新聞報道にもあったが、境内には銅像が二つ増えていた。一つは鹿島踊りの銅像、もう一つは天下の奇祭、帯祭りの奴道中の銅像である。どちらも両手を左右に水平に挙げて、片足を前へ上げた同じポーズを取っている。そばのおじさん同志が「奴道中の銅像のモデルがいるんだろうか」と話している。「それはいるさ‥‥」その後の言葉が聞こえなかった。口振りでは個人のモデルがいたらしい。
この銅像が出来て、狭い境内がさらに狭くなってしまった。境内の狭い神社は品において落ちる。出来れば銅像はどこか別の街角に建てて欲しかった。我々夫婦も二人の娘もここで結婚式を挙げている。神社が狭苦しくなってしまうのは何とも残念である。
売店に巫女さん姿のアルバイトが何人も出ている。今日は風もなく去年に比べてそんなに寒くはないが、女房は巫女姿が寒そうだという。その分下履きは重装備に決めているのだろう。
寝たのは4時を回り、目が覚めたのはお昼であった。年賀状もすでに来ていた。
(2007年の年賀状)
今年のうちの年賀状は巨木シリーズの第9弾で、四国讃岐の善通寺の楠を取り上げた。善通寺は四国霊場第七十五番札所で、弘法大師の御誕生所とされている。境内には2本のクスノキの巨木があり、「善通寺の大楠」「五社明神大楠」と呼ばれている。いずれも弘法大師が子供の頃に親しんだクスノキである。見栄えの点で「五社明神大楠」を選んだ。昨年の8月の肌を焦がすような日中に見てきた。お遍路ではこのお寺まで来れば残すはわずかである。
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