平成18年に60歳を迎える。六十と縦に書くと傘に鍋蓋(亠)を載せた形である。で、「かさぶた(六十)日録」
かさぶた日録
シャル・ウィ・ダンス?
テレビの金曜ロードショーで「シャル・ウィ・ダンス?」のハリウッド版を見た。アメリカでも評判を呼んだ日本映画を、どうしてハリウッドがリメイクするのか判らなかった。
前半は、全体にリメイク版には言葉が多すぎるのが気になったが、キャスティングから笑わせどころまで、ほぼ日本版を忠実になぞっていた。しかし後半からエンディングにかけては、日本版とかなり変えられていた。
主人公が妻と初めて踊るシーン、娘に押されておずおずと踊り始めるシーンは、日本人にはけっこう共感できたシーンだったが、リメイク版では正装をして赤いバラを一輪持って妻が残業する職場に行って「シャル・ウィ・ダンス?」と誘うシーンに変わっていた。
送別パーティーに行きたいが行けないという葛藤を描くシーンで、パチンコ屋で時間をつぶすシーンはリメイク版には無かった。だから、練習場の窓に出ている自分に向けた「シャル・ウィ・ダンス?」の横幕を電車の中から見て、たまらず会場に引返すシーンが劇的なのだが、リメーク版でも横幕が出るけれども、引き返した先は前述の妻の職場では意味がなかった。
妻とともに正装をして送別パーティーに出るという終わりはハッピーエンドではあるけれども、感動は少ない。日本版では迷った末に横幕を見てたまらずに背広のまま駆けつけ、ヒロインとラストダンスに滑り込むところで大きな感動をよんだ。
日本版のテーマに社交ダンスは相手への思いやりが最も大切だという点があった。リメイク版ではその部分がなぜか消えていた。ヒロインが前の大会で失敗した理由に、自分のことだけで相手への思いやりがなくて、優勝とパートナーを同時に失った。ところが主人公が社交ダンス大会で相手の服を踏みつけて破ってしまったとき、実は転倒する相手を身体でかばった結果であった。それにヒロインが気付き、過去の自分を反省して新たな挑戦に旅立っていくのだが、リメイク版ではそこのところがぼやけてしまった。相手への思いやりなどはハリウッドでは重要な問題ではないのかもしれない。
軍配を上げるとすれば、日本人の気持には日本版のほうがぴったりと来るのであろう。しかし世界の人々を等しく感動させるためには、日本版のような以心伝心を前提にした作品ではなくて、ハリウッド版のように言葉にしなくては何事も伝わらないという作品の方が効果的なのかもしれない。
きのうのNHKテレビでは、今ハリウッドで日本映画が注目され、そのリメイクが大はやりだという。まだ製作中の日本映画にまで、すでにハリウッドからリメイクの話がきている。現代の日本映画の価値が認められてきたとともに、それだけハリウッドに映画の題材が涸渇しているともいえる。
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