平成18年に60歳を迎える。六十と縦に書くと傘に鍋蓋(亠)を載せた形である。で、「かさぶた(六十)日録」
かさぶた日録
「江戸繁昌記 三編」を読む 57
午後、駿河古文書会出席のため、静岡へ行く。次回、次々回と、発表当番に当るため、資料を渡した。
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「江戸繁昌記 三編」の解読を続ける。「愛宕」の続き。
瓦鱗翠を抜き、東西に矻峙するは、本願寺の屋頭なり。竿頭に紅を飄し、無数に星散ずるは、臙脂舗(ベニヤ)の招旆(カンバン)なり。棟の隆きは則ち五百羅漢、拳螺堂。梁の脩(なが)きは則ち射場の三十三間堂。那の辺に鳶群盤舞す。果して知る、その下に鰻鱺店(ウナギヤ)有るを。この方の火樓(ヒノミ)、人面顧盻す。想うに火を望むならん。
※ 矻峙(こつじ)- はたらきそびえる。
※ 招旆(しょうせん)- 看板。
※ 拳螺堂(さざえどう)- 江戸時代後期に建てられた仏堂形式で、堂内を三層につくり、右回りの通路
にそって、三十三観音などの仏像を安置し、堂内を一巡すれば、すべての仏像が拝める造りになっている。
※ 盤舞(ばんぶ)- あつまり飛ぶ。
※ 顧盻(こべん)- あちらこちら見まわすこと。
両国の橋西、滑稽を聴く人、剪偸(スリ)後より外套を褫(うば)う。それそれ危し。大息して曰う、已に脱せり。京橋の街頭、孰(いずれ)か、錢一索を遺(お)とす。人の認るは莫(な)し。好し好し、我これを拾わん。言、未だ既(おわ)らず。髀(もも)を拊(たた)いて曰う、惜むべし、早く人に掠(かす)めらる。
※ 両国橋西詰 - 火除け地の広小路があり、軽業や歌舞伎芝居などの見世物小屋などがあった。
※ 錢一索(ぜにいっさく)- 銭を紐で通して束ねたもの。百文差・三百文差・一貫文差などがあった。落したなら、おそらく百文差であろう。
数箇(人)の藩士、景に脊(せ)して、酒を酌(く)む。蓋し茶婢を挑(いど)むに係る。(人間随所、桃源有り)婢、一人に向いて曰う、側(かす)かに聞く、頃者は主(ヌシ)、梅林の(楊弓肆、「梅林」と名づくは多し。昨日は孤山に、今日は桃源)那の話兒(アノコ)を携えて、楓を海晏寺にを観ると。何等の楽事(オタノシミ)羨むべし。(藩士)曰う、錯(あやま)れり。これ遊朋某の事に係る。僕(ミドモ)已むことを得ず、伴を為す。怪しむこと勿れ、怪しむこと勿れ。
※ 茶婢(ちゃひ)- 茶汲み女。
※ 挑む(いどむ)- 恋をしかける。言い寄る。
※ 頃者(けいしゃ)- このごろ。近ごろ。
※ 遊朋(ゆうほう)- 遊び仲間。
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