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「事実証談巻4(人霊部上)」 2 第1話の一

(大代川土手のイヌキクイモ)

散歩道の大代川土手の河原側に、草叢の中に大きな黄色い花を見付けて、デジカメの機能を確かめるべく撮ってみた。10メートル以上の距離があって、ズームして写したら、結構きれいに撮れた。

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「事実証談巻4(人霊部上)」の解読を続ける。

事実証談巻の四     中村乗高
                    天宮 中村乗高 撰集
                     男 中村真幸 校正
人霊部上の一


○帯山を源として流れ絶えせぬ小川、二た瀬有りたり。背より流れ出るをば背川と称(い)い、腹より流れ出るをは腹川と称(い)えり。こは知り人稀れなれど、昔よりの言い伝えなりと、そのわたりなる老人の物語りなり。

頃は安永年中、引馬野のわたりなる或る寺の僧、故郷、三河国田原という所より、甥子(おいこ)なりとて、十五、六歳ばかりなる総角の男子を伴い来たり。医師(くすし)になさんとて、手習い学問、怠りなく学ばしめけるを、その近きわたりなる人々、かの男子の生(お)い立ちに愛でゝ、さるべき家も有りなば、媒(なかだち)せん心にて、こゝかしこと言い試みけるに、
※ 総角(そうかく)-(「まえがみ」とルビあり)子供の髪形。あげまき。

かの腹川近きわたりの神職、その頃、引馬野のわたりに物学びして有りければ、その事を聞きて、或る医師の家に十三歳になりける一女(ひとりむすめ)ありければ、その医家の聟養子に媒(なかだち)せんと計りけれども、娘未だ年少なれば、今暫く養子となし置き、十五歳にもなりなば、娶(めあわ)すべしと約し置いて、同じ六年という年の春の末に、かの神職の媒(なかだち)にて、医家の養子になして、初めの名は多仲と云しを改めて、良節とは名乗りしとぞ。
※ 同じ六年(おなじむとせ)- 安永六年(1777)。

さてかの良節、世に優れたる美男にて、心も和(やわ)らかなりければ、家族は言うもさらにて、人の交(まじわり)睦まじく、養家の親しみ浅からざりしに、同七年と云いし年、養母の齢、三十二歳になれり。

すべてそのわたりにては、男は二十五歳と四十二歳、女は十九歳と三十三歳を厄年とて、その前年より萬(よろづ)慎しむ習いにて、法多山の観音を厄除観音と称して祈願する故、二月初午の日、遠近(おちこち)の諸人、あまた参詣し群集しければ、その年の二月初午の日、かの養母も近きわたりなる人々と共に、厄難祈願の為とて、法多山へ詣でたりしに、その帰るさより、風邪の如く熱気起りて悩しかりしを、伴ないし人に助けられて、家には帰り着きぬ。
※ 帰るさ(かえるさ)- 帰る時。帰りがけ。
※ 熱気(ねっき)- 病気などによる発熱。
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