平成18年に60歳を迎える。六十と縦に書くと傘に鍋蓋(亠)を載せた形である。で、「かさぶた(六十)日録」
かさぶた日録
「富士日記」 40 あとがき 跋
午後、郷土歴史講座「今川氏と伊久美犬間城」と銘打った講座が、島田市伊久身農村環境改善センターであり、犬間城のことが知りたくて参加した。講演は看板に偽りありで、犬間城のことは全く何も分からないというし、伊久美の歴史には最後の15分、それも今川と武田が戦い、伊久美は戦乱に荒廃したが、徳川の時代になって大開発が行われた話と、今川の時代にすでに年貢にお茶と紙が納められたという古文書があった話のみであった。
講演としては、今川、武田、徳川、北条、上杉といった戦国大名が、志太郡でどのように戦ったか、話はそれなりに面白く聞いたが、それは何も伊久美まで出掛けて聞く話でもなかった。参加者は40名ほど、プロジェクターに映すだけで、レジメも無く、パイプ椅子だけで、机がない講演は何とも疲れる。
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「富士日記」の解読を続ける。日記は昨日分で終り、今日と明日の解読は「あとがき」と「跋」である。
賀茂季麿縣主の、富士に登られし時の日記を写し終えて、返し侍るとてと有りて、
浜田の殿
富士の嶺に 攀じ登りつゝ 見るが如(ごと)
思ほゆるかも 美(うま)しこの書(ふみ)
同じ文を返し参らすとて、
書博士 賀茂保考
上もなき 言葉の玉は 富士の嶺の
雪の光も 沿うにや有るらん
仰嶽の額のことを思いやりて、
書付けし 筆の姿も 富士嶺の
上なきものと さぞ仰(あふ)ぐらし
春の山踏み、秋の露原を分けし日記は、世に沢なれど、この一巻はかの高嶺を天雲の余所(よそ)にのみして、過ぐめるあたりの、慰め草にもなすべく、束の間の徒然(つれづれ)、登り見ん人の道の枝折(しおり)にもなしてんと、愛(め)で足らへて、書屋(ふみや)の某が摺り、巻にすとて、引き歌や何や、雪臣に物せよと、そそのかすれば、大蛇(おろち)に足の類いなる筆を添ふるにこそありけれ。
※ 沢(さわ)- 物が豊かにあること。
※ 足らう(たらう)- 資格や力量などが十分に備わっている。
※ 大蛇(おろち)に足の類い -「蛇足」のこと。
菅原雪臣
以下に、跋(漢文)を原文のまま示す。明日、跋の読み下しにチャレンジする。相当、手ごたえを感じる。
八葉青蓮三峰白雪上之挿
九天下之跨三州者人雖未嘗
之觀而皆知其為冨嶽也
賀茂季麿縣主之於國歌也
殆弖類焉人雖未嘗見而亦
皆莫不知其為名望也縣主
弱冠遊于江戸留十九年以
善和歌有名于世矣寛政壬子
予訪象田禅師於天龍之
壽寧精舎坐弖一客禅師
謂予曰是人以和歌遊于江戸
頃日還京予雖未詳姓名而
必知為縣主也既而間之果
然爾後得交驩情誼日熟于
今二十餘年猶一日也属者
縣主應書肆之請刻其所
嘗著冨士日記乃便予跋其
末予以不文辞不可因一閲
之其文辭冨膽考據精
該又何待予喋々乎唯此
書之行也其名望之彌高謂
與青蓮白雪争光亦奚不
可哉謹跋
文化十一年甲戌孟夏瀬尾文拜撰
研齋書
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