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「二宮尊徳講義録」 3 - 古文書に親しむ(経験者)

(散歩道のヒョウモンチョウ)

台風18号が来る前に撮った。時々吹く風に吹き飛ばされそうであったが、あの台風はどこでやり過ごしたのだろう。

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「二宮尊徳講義録」の解読を続ける。

それより貧乏人は、己れが不精、不始末、惰弱は言わず、人をそしり羨(うらや)みて、小言が始り、悪い工(たくみ)は次第に募り、或るいは、押し借り、打壊し、その小言が止むと色々悪くなり、弥(いよいよ)飢えに及ぶのじゃ。その時に至り、後悔しても仕様がない。これから本心に立帰り、家業を励む、精出すよりほかこれ無し。
※ 惰弱(だじゃく)- 気持ちに張りがなく、だらけていること。意気地のないこと。

則ち、福者のためには、貧乏人が福の神じゃ。貧乏人が寄り集りて、売っては増やしてやり、詰る処は皆福者の果報に成るじゃによって、少しは借り倒されても、貰いた顔されても、了簡したがよい。
※ 果報(かほう)- よい運を授かって幸福なこと。

これが世界中に金持ばかりでは、売りに来る人も、買いに来る人もないが、その時には、田も畑も預ける人ばかり、作る人がなく、その時には福者も金持ちも、貧乏人に引かえて、渇命に及ばわにゃならぬ。ここを能く/\考えて見れば、貧乏人じゃとて、見捨てにはならぬ。
※ 渇命(かつめい)- 飢えや渇きのために命が危なくなること。

貧者も去年より引続き、種々恵みを請けてもあたり前などゝ、冥利を知らぬ大罰当り者も稀れにはあるものじゃ。心得が悪いと、貧する上ににも、又々、子々孫々までも貧する種を蒔くのじゃ。よって、有難いという事、少しも忘れては済まぬ。貧者と福者は噺が違う。皆、耳にばかり聞かぬ様に、能々腹の中へ聞き込むがよい。
※ 冥利(みょうり)- 神仏によって知らず知らずに与えられる利益のこと。神仏の助け。

天照大神宮様は、田も畑も、鎌も鍬も、何にもない処へ天降りまし/\て、御丹情遊されたのじゃ。それを今、望み次第に、田でも畠でも、鍬でも鎌でも諸道具でも、困らぬ様に出来て居るのじゃ。唯、誠の一つさえ、取り失わねば、何も不足言う事はない。不足というは、己れが皆嘘ばかり尽して置いた、その報いじゃ。
※ 丹精(たんせい)- 心を込めて物事をすること。

それ唯、匹夫は富貴を好みて貧賤を恨む。もと富貴貧賤は天にあらず、地にあらず、国家にあらず。銘々の一心にあり。
※ 匹夫(ひっぷ)- 身分のいやしい男。また、道理をわきまえない男。

常の我が身を治めて、人を治むるものは、富貴その身に備う。常の我が身を人に治めらるゝものは、家業を勤め、を守りて、富貴を保つ。常の我が身を人に治められて、我が身を我が意に任するものは、貧賤その身に備う。富貴貧賤は一心一念の変化する処なり。
※ 分(ぶん)- 人が置かれた立場や身分。また、人が備えている能力の程度。

勤苦して得るは、これ則ち、人倫の道なり。本来同土遠隔なる事をさとりて、ともに/\勤行いたしたき事に候。
(おわり)
※ 勤苦(きんく)- 非常に苦労すること。
※ 人倫の道(じんりんのみち)- 人の踏み行うべき道。
※ 勤行(ごんぎょう)- 精進努力すること。


読書:「還暦猫 ご隠居さん5」野口卓 著
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