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「富士日記」 27 (旧)八月二日

(午後五時の虹)

ムサシの散歩の時、大代川土手より東の空に虹が立っていた。

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「富士日記」の解読を続ける。

二日、今日は躑躅ヶ崎の武田の古城見んとて、式穀、好道導(しるべ)して、甲府の大城(おおき)を右に見つゝ、行きて見るに、げに甲斐の国は山の峡(かい)なること、著(いちじる)く、山々打ち囲(かく)み、縦横廿町ばかり、岡の如く平らかにて、本丸ばかりは礎(いしづえ)残り、外曲輪(そとくるわ)は尽(ことごと)く畑となりたる。
(原注 武田信綱、石禾の館を躑躅ヶ崎に移して、勝頼まで四代、ここに住まれたり。)
※ 甲府の大城(こうふのおおき)- 甲府城。甲斐府中城。舞鶴城、とも


つら/\思うに、遠つ祖(おや)新羅(しらぎ)の三郎義光の朝臣(あそ)より、勝頼朝臣まで、凡そ四百六十年余、この国に住みて、(たつ)と書けり、(とら)とうそぶきたりし勢いも、時至りぬれば、かくこそはと、そゞろに哀れなり。
※ 遠つ祖(とおつおや)- 先祖。祖先。
(原注 新羅三郎伊豫守頼義朝臣の三男。)
※ 龍(たつ)- 上杉謙信の旗印。対抗して武田信玄は「甲府の虎」と云われた。
※ そぞろに(漫に)- これといった理由もなしにそうなったり、そうしたりするさま。なんとなく。


   (いしづえ)の 跡だに草に 埋もれて
        虚しくそよぐ 秋の夕風


夢山と云える山、間近く見ゆれば、かく荒れてののち、名付けしにやあらんと思うに、さにはあらで、いと古き名所にて、名寄と云える書(ふみ)にも歌出でたりとぞ。空よく晴れたる日は富士もよく見ゆと云えど、今日は曇りたれば、甲斐なし。
(原注 歌枕名寄
      夢山 詠み人知らず
    都人 覚束なきに 夢山を 見る甲斐ありて 行き帰るらん)

※ 歌枕名寄(うたまくらなよせ)- 中世の歌学書。鎌倉末期、澄月編。歌枕を国別に分類して、該当する和歌を載せる。


この岡の後ろの山際に、増福山興因寺と云う寺あり。そは 後陽成帝の八宮、
良純法親王、事ありて流離(さすらい)の時、十二年おわしまして、
(原注 諸門跡系譜云う、良純法親王、寛永廿年十一月、甲斐国天目山に配流。万治二年六月帰洛。)
※ 流離(さすらい)- さすらうこと。流浪。漂泊。(親王は配流であった)


   鳴けば聞く 聞けば都の 恋しきに この里過ぎよ 山ほとゝぎす

と詠み給いし所にて、それよりこの里には、鳴かずと言い伝えたるとなん。
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