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「二宮尊徳講義録」 2 - 古文書に親しむ(経験者)

(台風一過の夕方)

台風18号は当地、幸い何事もなく過ぎた。ススキの穂越しに見た、快晴の西の空に傾く日である。

お昼、掛川の孫たちが来て、ソーメン食べて、大騒ぎして帰った。当家、幸い何事もなく過ぎた。

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「二宮尊徳講義録」の解読を続ける。

また、御拝借五ヶ年賦は、銘々その日/\の家業の外に、夜々縄なり、草履なり、また山付きならば、定まりの外に朝起きして、炭なり何なり、それぞれ、得手々々の余業を、励み勤むなり。

その上、一統申し合い、大倹約をして、また祭礼、仏事なども寺々へ付けとゞけ厚くし相勤め、その外、普請、家作、月待ち、日待ち、振る舞い事、その外何事にもよらず、不用の事、不用の品を少分たりとも求むる事、一切慎しむのじゃ。

この度、露命を繋ぎし事を忘れざれば、五ヶ年や十ヶ年は、何でもなく勤まる倹約じゃ。この処を能々(よくよく)感心して、本心に立ち帰り、勤めさえすれば、何程、凶年でも凶作でも無いが、別に豊年もない。

全体、年々豊凶は六、七月より知れてあるものじゃ。弥々(いよいよ)今年、五分六分、二分三分作の陽気と見えたら、それぞれの暮らし方を付けねばならぬ。殊に、去年のこの辺は、二分三分作と見定めても、それをうか/\、平年の七、八分の暮らしをして居るに依って、さあ狂言が違うのじゃ。

田畑の事ばかりじゃない。何事もこの通り、萬(よろ)ずにより、商売が不景気ならば、その通り不景気の暮し方を付けるべし。その時々を計りて暮せば、間違いはない。その振る舞いが違うゆえ、凶年が来たら俄かに目が覚めたのじゃ。皆、天の思し召しに背いたによって、かく難渋したのじゃ。

今日、言い付け通りに守り、さすれば、返す/\も言う通り、粟を蒔けば粟が実法(みの)る。米をまけば米が出来、善い種を蒔けば、幸いが実る。悪い種を蒔けば、害がみのる。天の誠道、これを誠にするは人の道なりとは、報徳の事なり。

小人は小金が出来ると上を見初(はじめ)める。それより段々奢りが始まり、衣食住、髪形、諸道具類、唐物、和物好み、遊芸、盤芸、茶の湯、俳諧、生け花、立花、諸々の遊客寄り集り、それより家業は次第に不精(ぶしょう)になるほど、飲食を好み、色欲、次第/\に貧乏不如意と成るに順(したが)いて、愈(いよいよ)奢りは強くなりては、人の諌(いさ)めも聞かず、凶年が来ると人より先へ飢える。
※ 盤芸(ばんげい)- 囲碁、将棋、双六など。
※ 立花(りっか)- 生け花の型の一。江戸前期に二世池坊専好が大成した最初の生け花様式。


その裏はまた、小金が出来る程、吝嗇(りんしょく)、己が勝手を好み、利欲強く、人を見下し、人は心柄じゃと、己が自漫し、小金出来る(ふゆる)ほど道を失う。
※ 吝嗇(りんしょく)- ひどく物惜しみをすること。けち。
※ 心柄(こころがら)- 心の持ち方。自業自得。
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