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「事実証談巻4(人霊部上)」 5 第1話の四

(幼稚園年中のお遊戯)

午前中、孫のえまちゃんの幼稚園の運動会を見に行く。今日は曇りで、身体は楽であった。写真のどこかにいるはずだが、皆んな同じ服装で、孫がどこか分からなかった。後で靴に注目すれば、区別できたと思った。

午後は「郷土の歴史講座」のフィールドワークで伊久美の犬間地区へ行く。久し振りに半日歩いて、膝ががくがくした。筋肉がすっかり落ちてしまったようだ。詳しい話は後日。

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「事実証談巻4(人霊部上)」の解読を続ける。

かくて伴い行きければ、その日は主(あるじ)、他に物し(出掛け)、娘のみありて、かくと告げれば、養母喜び、病の床より転(まろ)び出で、さめ/\゛と歎きつゝ、良節の袂にすがり、不思儀の縁にて親子となり、産みの子よりも親しみ深く、千代もと思いし甲斐もなく、飽かぬ離別となる事は、如何なる因果なるぞやと、人目も恥じぬ悲しみに、しばし詞(ことば)もなかりしが、
※ 飽かぬ(あかぬ)- 満ち足りない。名残惜しい。

両人ともに涙を払い、歎き給うも理(ことわり)ながら、今更返らぬ前世の宿縁、かゝる歎きは御身の障り、何時までかくて有りとても、尽きせぬ名残となだむるを、なお取り縋り歎きけれども、果てし無ければ、両人ともに、袂(たもと)振り切り立ち出でるを、養母はなおも耐え兼ねて、転(まろ)びながらも、門先遠く慕い出で、取り縋りて歎きければ、

二人もとこう詮方なく、立ち煩(わずら)いて有りけるを、(このとき養母、別れを悲しみ、道遠く付き添い行きし者、物語りにて、その歎き深かりしこと記し)隣家の人々立ち出で、なだめすかして、家に伴い抱き入れければ、二人も泣く/\立ち帰りしとなん。
※ とこう -(「とかく」の音変化)あれこれ。何やかや。

さて多仲は寺に帰りしより、尋常ならぬ顔ばせにて、物思わしげに見えけるを、住僧見咎め、汝こゝに帰りしより、顔色常に変れり。かくて有りなば、身の為、悪(あ)しかりなん。我が所縁(ゆかり)あれば、江戸に下り保養し、快気あらば医学を励みてよ、と住僧の進めに随い、多仲は江戸にぞ下りける。
※ 多仲(たちゅう)-「良節」の養子行く前の名前。元の名前に戻ったのであろう。
※ 顔ばせ(かおばせ)- かんばせ。顔つき。顔のさま。


かくて所縁(ゆかり)の方に客居して、日毎に上野、浅草、山下、両国の辺(ほとり)に遊びて、興を催し、日々の保養怠らざりしかども、その験(しるし)なくて、終に労瘵の病となり、同年十一月、十九歳を一期(いちご)として、客居の方にて病死せり。
※ 客居(かっきょ)- 旅ずまい。客として、仮ずまいすること。
※ 労瘵(ろうさい)- 漢方で、肺浸潤・肺結核のこと。
※ 一期(いちご)- 死に際した時。臨終。最期(さいご)
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