平成18年に60歳を迎える。六十と縦に書くと傘に鍋蓋(亠)を載せた形である。で、「かさぶた(六十)日録」
かさぶた日録
「富士日記」 33 (旧)八月四日(つづき)
この数日で、夏枯れだった散歩道にも、秋の花が咲き始めた。
午後、掛川の古文書講座に出席した。
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「富士日記」の解読を続ける。
塩山は如何なる故よしは知らねど、山にも塩の出る井ある事、唐も大和も多く、また近江の湖にも、塩津と云える所ある如く、舟にて運びたりし塩を、上げし所にもや有けん。かかるは、ただ名に寄りて、ゆくりなく云われしものならん。
(原注 塩山、梁塵秘抄言う、甲斐ヶ嶺におかしき山の名は、白峰、なみさき、塩の山、云々。)
(原注 塩の出る井、諸国にあれど、甲斐の国には巨摩郡鳳皇山の麓、奈良田にありとぞ。)
(原注 本草に云う、塩井は帰州及び四川諸郡に在り、云々。東坡志林に云う、西川、井に塩出る。永康郡、崖岸に塩出る。)
※ ゆくりなく - 思いがけなく。突然に。
はた(あるいは)塩海(しおうみ)の如く詠みし、古歌も誤りなる事、著(いちじる)し。すべて国々の名前など、論(あげつろ)わんには、かかる類(たぐ)い侍るべきことにこそ。そが中に、藻塩草とて世に行わるゝ名前の本は、ことに誤れる事多し。
※ 藻塩草(もしおぐさ)- 随筆・筆記類の異名。
例えば、ならの里をきならの里、まつち山を亦打山と埋めしを、字のまゝに、またうち山と書きし。岡の部には、いな岡と出せるを、考うるに、万葉集歌に、「つくばね(筑波嶺)に 雪かも降れる 否をかも」と詠みし詞を、岡と思いて出せるなどは、論にも足らぬことどもなり。さて、
今はまだ 川に指出の 磯千鳥
古りし昔の 跡を留めけり
かく思い続けて、千鳥は今も侍るやと問えば、常はいと多く侍るなりとて、好道、
(原注 古今集 読人知らず
塩の山 指出の磯に 住む千鳥
君が御代をば やちよ(八千代)とぞ鳴く)
うち群れて 今日は指出の 磯千鳥
都の苞(つと)の 一声もがな
暫しありて、川を徒歩渡りして、隺八幡宮を左に拝みて行く。この社は、延喜式に出たる、大井俣神社なりとぞ。
(原注 三代実録、貞観九年十二月九日、甲斐国大井俣神を以って、于官社に列す。同七年、授正五位下を授く。)
等力(とどろき)村という所に、鎮もりいませる水宮の神主、堀内茂實も予(かね)て聞き及びければ、訪いたるに、とく出迎えて、暫し打ち物語らいて、
(原注 等力和名抄に見ゆ。)
故郷に 指出の磯の 急がずば
日を重ねても 語らわましを
と言うに主返し、
秋浅き 指出の磯の 初紅葉
面忘れせで またも訪へ君
※ 面忘れ(おもわすれ)- 人の顔を忘れること。
この水宮をも、上に言いし大井俣神社なりと云えれば、いずれか誠ならむ。定かにわきがたしと元克語れり。
※ わきがたし - 理解しがたい。
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