goo

「富士日記」 33 (旧)八月四日(つづき)

(散歩道の白色ヒガンバナ)

この数日で、夏枯れだった散歩道にも、秋の花が咲き始めた。

午後、掛川の古文書講座に出席した。

******************

「富士日記」の解読を続ける。

塩山は如何なる故よしは知らねど、山にも塩の出る井ある事、唐も大和も多く、また近江の湖にも、塩津と云える所ある如く、舟にて運びたりし塩を、上げし所にもや有けん。かかるは、ただ名に寄りて、ゆくりなく云われしものならん。
(原注 塩山、梁塵秘抄言う、甲斐ヶ嶺におかしき山の名は、白峰、なみさき、塩の山、云々。)
(原注 塩の出る井、諸国にあれど、甲斐の国には巨摩郡鳳皇山の麓、奈良田にありとぞ。)
(原注 本草に云う、塩井は帰州及び四川諸郡に在り、云々。東坡志林に云う、西川、井に塩出る。永康郡、崖岸に塩出る。)

※ ゆくりなく - 思いがけなく。突然に。


はた(あるいは)塩海(しおうみ)の如く詠みし、古歌も誤りなる事、著(いちじる)し。すべて国々の名前など、論(あげつろ)わんには、かかる類(たぐ)い侍るべきことにこそ。そが中に、藻塩草とて世に行わるゝ名前の本は、ことに誤れる事多し。
※ 藻塩草(もしおぐさ)- 随筆・筆記類の異名。

例えば、ならの里をきならの里、まつち山を亦打山と埋めしを、字のまゝに、またうち山と書きし。岡の部には、いな岡と出せるを、考うるに、万葉集歌に、「つくばね(筑波嶺)に 雪かも降れる 否をかも」と詠みし詞を、岡と思いて出せるなどは、論にも足らぬことどもなり。さて、

   今はまだ 川に指出の 磯千鳥
        古りし昔の 跡を留めけり


かく思い続けて、千鳥は今も侍るやと問えば、常はいと多く侍るなりとて、好道、
(原注 古今集 読人知らず
   塩の山 指出の磯に 住む千鳥
            君が御代をば やちよ
(八千代)とぞ鳴く

   うち群れて 今日は指出の 磯千鳥
        都の苞
(つと)の 一声もがな

暫しありて、川を徒歩渡りして、隺八幡宮を左に拝みて行く。この社は、延喜式に出たる、大井俣神社なりとぞ。
(原注 三代実録、貞観九年十二月九日、甲斐国大井俣神を以って、于官社に列す。同七年、授正五位下を授く。)

等力(とどろき)村という所に、鎮もりいませる水宮の神主、堀内茂實も予(かね)て聞き及びければ、訪いたるに、とく出迎えて、暫し打ち物語らいて、
(原注 等力和名抄に見ゆ。)

   故郷に 指出の磯の 急がずば
        日を重ねても 語らわましを


と言うに主返し、

   秋浅き 指出の磯の 初紅葉
        面忘れせで またも訪へ君

※ 面忘れ(おもわすれ)- 人の顔を忘れること。

この水宮をも、上に言いし大井俣神社なりと云えれば、いずれか誠ならむ。定かにわきがたしと元克語れり。
※ わきがたし - 理解しがたい。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )