平成18年に60歳を迎える。六十と縦に書くと傘に鍋蓋(亠)を載せた形である。で、「かさぶた(六十)日録」
かさぶた日録
最近の夜はこんなもの
子供たちが巣立って行けばいずれこうなることは判っていたのであるが、女房と二人だけの生活が続いている。夜、テレビも安易なバラエティ番組ばかりで、近ごろは見る気にならない。見るのはNHKか、スポーツ中継、推理ドラマぐらいである。景気が低迷してスポンサーが集まらないから、テレビ局もお金を掛けられないことは判るが、それにしても酷い。
だから、最近は夜、本を読むことにしている。図書館から借りてくるから本代はかからない。そんなに難しい本は少なく、作家に狙いをつけて気に入った作家を集中して読んでいる。今週は、今野敏、島田荘司の本である。今夜も、読んでいるうちについついうたた寝してしまい、気が付けばテレビが付いたまま、隣で女房も宵寝をしていた。目が覚めて自分で風呂を入れて入った。
パソコンの前に座っても書き込むテーマが何も浮かばない。しばらくは、この金曜日に行く駿河古文書会の資料を出して予習をした。課題の古文書は今まで読んでいたものよりも難しくて、すらすら読めるというわけには行かない。読めないところは保留にして、全体の意味をとらえようとする。借金證文であることは判っているが、読めない部分が多くて文脈がなかなか追えない。
古文書の解読に辞書はあるけれども、どういう文字であるか、あるいはどういう読みであるのか、それが想像できないと辞書が引けない。文脈からこういう字のはずと想像し辞書を引いて、同じ形の崩し字に当ればしめたものである。やさしい古文書ではそれが可能だが、ここまで難しいとお手上げである。
だから古文書解読の勉強は独学で行うのは大変難しい。古文書の講座にたくさん参加して、多くの古文書に接して、慣れる以外に上達の方法はないと、どの講師も話す。
ブログ用に花の写真を撮ってきて、その名前を調べる作業をしばしば行う。名前の判らない花をどうやって調べるのか。それは古文書の解読と良く似た作業である。花の場合は、ネット上の花図鑑で、花の色、形、季節などいくつかの特徴を検索し、ネット上の写真とひたすら照合することになる。これだろうと思われる写真に出会えば、その花の名前で検索して、撮ってきた花の写真と、細部を比較検討して、名前を確定する。8割くらいはこれで名前が判る。
ところが崩された文字では、花図鑑のような便利なものはネットに存在しない(と思う)。だから花の名前のようにはネットが使えない。存在しないのなら、自分で作ってみるのも意義があるかもしれないと、考えることがよくある。幸い時間はあるが、ネットのテクニカルな部分について協力してくれる人がいない。その前に、自分自身がもっと古文書を勉強することだと、今は考えている。
このようにして、今日も明日になってしまい、書き込みも予定量に達した。書いている間に、女房は起きだして、寝室に行って寝てしまった。
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