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長崎、風頭山から亀山社中跡へ

(亀山社中跡)

嬉野まで出張に来て、長崎まで特急で1時間しか掛からないことを知った。長崎は今「NHK大河ドラマ竜馬伝」で賑わいを増しているという。一度はのぞいて置くべきだろう。仕事が終った後に、一晩泊まりの小旅行を計画した。一線を退くと時間に自由があってよい。

お昼にすべての仕事を終えて、肥前鹿島を正午過ぎに出る。1時半には長崎駅前の「ホテルクウォーレ長崎駅前」に入った。チェックイン時間前だったが、部屋の準備が出来ていて、入れてくれた。体調を整え、龍馬の所縁の地へ出掛けることにした。何を置いても、先ず最初に行きたいと思ったのは亀山社中跡である。長年、会社人間だった身としては、日本初のカンパニー、亀山社中から見ておかねばならないと理由付けしている。フロントで聞くと、バスで行くことを勧められる。バス停までしっかりと教わる。

ホテルを出ると何という暑さだと改めて感じた。街を知るには歩くことが一番だと思うから。長崎の街も出来るだけ歩こうと思っていたが、極力交通機関を使う方が良さそうである。

教わった通りに風頭山行のバスに乗った。風頭山は長崎の東側にあって、山の頂上辺りまで、無計画に町並みがせり登っており、バスは山の南側から街を縫うように続く急坂を登って行く。これが坂の町長崎なのだと実感した。尾根でバスが向きを代える空き地に出て、そこが風頭山の終点であった。まず風頭公園をめざし、そこから少し下れば亀山社中に至ると、バスの運転手に聞いて、再び炎天下に出た。


(風頭公園、坂本龍馬像)

風頭山の尾根が、風頭公園になって、遊歩道が付いている。町がすぐそこまで這い登ってきて、尾根の部分がわずかに残されたといった風情である。長崎港を見下ろす展望台に坂本龍馬の銅像が立っていた。隣の観光客に付いたボランティアガイドが長崎には龍馬の銅像が七体あると話していた。この旅で幾つ見ることになるだろう。

亀山社中は公園から道標に導かれて、人が歩くのがやっとという石畳の道を下り、右に折れた先にあった。古い木造の民家という風情で、山の斜面のため庭も狭い。座敷に上がり、案内人に昔のままの建物なのかと聞いた。一度解体して建て直したが、主な材料など昔のままであるという。トイレは裏に建て増したけれども。畳の部屋が10畳、8畳、3畳の3部屋で、ここで20数人の若者たちがいるだけで暑苦しいと思った。皆んなここに泊まったのかと聞くと、泊まったのは10人前後で、あとは住まいを別に持っていたという。亀山は一帯の地名である。


(龍馬ブーツ像)

亀山社中の活動期間は慶応元年から三年までの実質2年間で、あとは海援隊に引き継がれた。こんな山の上の引き籠ったところで、気宇壮大な議論が日夜行われたのであろうか。それが何とも不思議である。亀山社中を出たすぐのところに、龍馬ブーツ像というユーモラスな像があった。(続く)
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