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大浦天主堂からグラバー園

(大浦天主堂)

(昨日の続き)
長崎奉行所から下って、公会堂前電停から市電に乗った。市電は昨日歩いた龍馬の道と中島川を挟んだ向かい側を通って、港を目指して進む。大浦天主堂下電停で降りると、すぐに大浦天主堂に向かう小道に入った。大浦天主堂とグラバー邸へは45年前の高校の修学旅行で来ているはずであった。天主堂には見覚えがあった。天主堂は正式名を、日本二十六聖殉教者天主堂という。切支丹禁教令によって殉教した二十六聖人に捧げられた教会である。今回の長崎観光の切り口は龍馬だから、切支丹関係の観光地はメインではないので、ステンドグラスの模様が壁や床に映るさまを見たり、アーチ型の天井を見たりして、早々に天主堂を後にした。

天主堂の脇からグラバー園に小道が通じていた。登り道にエスカレーターが幾つか着いていて、猛暑の中、登りに汗を掻かなくて済んだ。最も高いところに二階建の旧三菱第2ドックハウスがあった。修理のためにドック入りした乗組員たちが宿泊した施設だという。二階建てでベランダが付き、長崎港の見晴らしが最高であった。対岸の三菱の造船所も一望である。グラバー園にはグラバー邸がある他、旧リンガー邸、旧オルト邸など、明治時代の洋風建築が残されている。その他、明治村のように園内に移築して復元した建物もある。


(旧グラバー邸)

グラバー邸には確かに一度来た記憶があり、丸い建物に見覚えがあった。この旅で、吉村昭著の「生麦事件」を読んでいたが、グラバーというイギリス商人は扱った物の多くが武器で、今で言うなら死の商人である。生麦事件が原因で、イギリス艦隊と鹿児島湾で戦う薩摩藩に、戦艦や大砲、銃などをためらいなく商売している。結果的には、その後、戊辰戦争で薩長軍を勝たせた一因はグラバーが調達した武器だったといえる。


(長崎港入港の客船)

グラバー邸には中国人団体客が見えたが、後で港に出たら大きな客船が入港していたから、船旅の途中で長崎に寄って観光をしているのだろうと思った。

出口に長崎伝統芸能館があって、長崎くんちに奉納される龍踊り、山車や傘鉾などが展示され、諏訪神社での奉納の威勢のよい映像が流されていた。

今回の長崎訪問は龍馬の足跡を追うというテーマで訪れた。今、旬のテーマだと思ったからである。長崎を観光するなら、出島とオランダ人、中華街と中国文化、ぶらぶら節と丸山花街、原爆と平和祈念像、切支丹の遺跡巡り、などテーマと切り口を変えて訪れれば何度も楽しめそうである。それだけ長崎はふところの深い街である。
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