平成18年に60歳を迎える。六十と縦に書くと傘に鍋蓋(亠)を載せた形である。で、「かさぶた(六十)日録」
かさぶた日録
駿河古文書会に入会する
先週まで靜岡の古文書基礎講座に参加していた。夏の間、週一回、9週間にわたって実施され、皆出席で終えた。昨年に続いて2年目の受講である。講座の中で駿河古文書会の入会案内があり、昨年はまだ自信がなくて入会を見送ったが、今年は入会してみようと思い、本日の定例会に出席してみた。
会場は基礎講座と同じ場所で、午後5時から6時50分という半端な時間にあった。図書館が午後7時で終るために、それに時間を合わせたようだ。3時半には家を出て、電車とバスを乗り継いで30分ほど前に会場に入った。その場にいた基礎講座の講師で顔を知る方に入会を申し込むと、前もって連絡をいただければ準備できたのだがと、それでも手続きの面倒見てくれた。次回から後期に入るのでそこから会員ということで、今日は見学という扱いにすると、見学者用のテキストを貸していただいた。テキスト以外に例会資料があって、それは一回100円で前回分と2回分を購入した。駿河古文書会はどこからも援助があるわけではないから、実費を会員から集めて運営しているようだ。講師も回り番でベテラン会員が受けている。
時間になって定例会が始まった。今日の課題になっていたのは、「御分間御用書上帳」である。文化三年(1806)年に完成し、道中奉行から将軍に献上された「五街道分間延絵図」のうち「東海道分間延絵図」の由比の今宿について、幕命により地元の村役人が調査して報告した文書である。調査内容については項目が道中奉行より細かく指示されていて、「当村には御座なく候」という文言がたくさん出てくる。
「東海道分間延絵図」は当時の街道図としては最も正確で精密なものであった。絵の中に描きこまれた情報は当時の街道を知る上で大変貴重な資料となっている。江戸城内紅葉山文庫に保管されていたものは現在重要文化財に指定されている。今、旧東海道を歩くと各宿場に、延絵図からその宿場の部分を拡大コピーしたものが、案内板に出ていたりしてお馴染みである。
延絵図を作成するに当って、当然現地調査もしたのであろうが、それまでに現地の村役人に事前に調査させ、報告をさせていたことをこの文書で知った。
会は講師役の会員が解読してきたものを読み進め、その後、会員から読み違いや解釈の違いの意見があり、「翻字」(解読された文字)が訂正されていく。その後、講師が自ら調査した歴史的背景とか、文字、文言の意味などを、準備された資料で説明があった。
次回は2週間後の10月1日である。少しレベルが上がったが、歴史的意味などの説明も聞けて、興味をそそられた。後期のテキストも頂いてきたから、予習をして参加すれば、何とか付いて行けると思った。
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