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今朝の大雨は尋常ではなかった

(すっかり秋の空になって、日が西原に沈む)

今朝、少し遅れて出社した。出かける時にすでに雨が強く降っていたが、通勤に要する15分の間に、雨の降り方が尋常でなく烈しくなってきた。駐車場までたどり着いたが、すぐには車から出られなくて、事務所に昼食注文の電話をして、車の中でしばらく小降りになるのを待った。ラジオは浜松ではすでに青空が見えていると報じていたから、止むのも時間の問題だと思った。この降り方は時間雨量にして50ミリぐらいになるだろうか。車の屋根を叩くような雨である。

5分も待つうちに、少し静かになり、フロントガラスを打つ雨も弱くなった。今のうちに事務所に行こうと決断し車を出た。雨脚は弱くなっていたが、アスファルトの駐車場は、雨量に水はけが間に合わなくて、全体が3、4センチの水溜りのようになり、事務所にたどり着くまでに靴の中に水が入って来た。

昔で言えば豪雨であるが、近ごろは珍しくなくて、良くお目にかかるようになった。温暖化の影響だといってしまえばそれまでだが、我々は地球規模の気候変動のうねりの中に、入っているのかもしれない。

「ノアの箱舟」の伝説を我々は作り話のように感じていた。あれほどの大洪水が起きるはずがない。雲が降らせるには余りにも大量の雨で、信じがたいと自分も思っていた。しかし、箱舟を思わせる考古学的発見もあり、世界規模とはいえなくも、一地方にノアの洪水に近い大洪水があったことをうかがわせる。

「湿舌」という言葉を知って、海より次々に水を雲という形で運んできて、長い時間大雨を降らし続ける気象現象があることを認識した。しかも、供給されるのは海の水だから無尽蔵である。例えば時間50ミリで、伝説通り、40日40夜続けば、単純計算で48メートルというとんでもない雨量になる。水はけが悪ければ、長い時間、陸地が海になっても不思議はない。

戦争の世紀といわれた20世紀と比べて、我々は子供の頃から、21世紀はバラ色の時代になると想像していた。すでに10年が過ぎて判ったことは、我々の期待が様々な分野で大きく裏切られていることである。生活は年を追って厳しくなり、住みにくい地球になっている。

朝の大雨も10時ごろには上がり、午後は良いお天気となった。日没の位置は先頃まで「たけ山」あたりに沈んでいたが、大きく南へ動いて、西原に没するようになった。気が付けば、夕暮れの空はすっかり秋雲である。いよいよ秋本番になってきた。
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