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子孫に残した手紙の手本

(台風9号後、一転して秋雨前線の空)

靜岡の古文書講座は今日が9回目の最終回であった。酷暑の2ヶ月、毎週出掛けて皆出席であった。今日はようやく暑さも一休みで、小雨が降っていた。

終りの3回は井川村の郷士、海野家の古文書を読んできた。今日は古文書の中でも手紙を読むと講師が言い、最初に読んだのは「下書き」と断り書きのある短い書簡である。

                     下書き
一筆啓上仕り候、先ず以って春暖御座候ところ、御代官様ますます御勇健に御陣屋へ御着き遊され、恐悦に奉り候、右御歓び申上げたく、先例に付き扇子壱臺、これを進上仕り候、おついでの節、宜しく御披露下さるべく候、なお後音(こういん)の時、期(ご)し候恐惶謹言
                       海野弥兵衛 信・-
 三月二十九日
山 甚五左衛門
    御用人中様
  

手紙の場合、本物は手元に残っていることはないから、下書き、あるいは控えであることは断わらなくても分かる。わざわざ「下書き」と書かれているものは珍しいようだ。講師の話では、自分の後継者に、代官が新しく赴任してきたら、顔つなぎに、まず出す書簡の見本として、自分の出した書簡の控えを残したと考えられる。

「下書き」とわざわざ記してあるだけでなく、全体に一文字一文字がくずしを少なくして判りやすく書かれている。これは自分の後継者に読みやすく書いたものであろう。本当の下書きなら文章の推敲のあとや、書き損じの部分などに墨が引かれていたりするものだが、この下書きにはそのあとがなく、きれいに書かれている。決定的なのは海野弥兵衛の後の「信・-」とある点である。代々海野弥兵衛を襲名するから、どの海野弥兵衛さんか分からない。だから海野弥兵衛の後に漢字2文字の個人名を書く。1文字は「信」の字を使い、例えば「信能」といったように書いて、過去の代の海野弥兵衛さんと区別をしている。「信・-」の表示は明らかにそこに自分の名前を書くのだぞというメッセージが入っている。

文面を見てみよう。江戸から赴任してきた代官への顔つなぎの挨拶文である。「一筆啓上」「恐惶謹言」は手紙文の初めと終わりの決まり文句。拝啓/敬具と同じこと。扇子を一臺(台)と数えるとは、自分の知識の中には無かった。さらに初めて聞く言い回しは、「後音の時、期し候」という部分である。「後音(こういん)」は、「後の音信」。「期(ご)する」は、「そうしようと心に決める。決意する。きする。」つまり、簡単すぎる手紙について、今回は取り急ぎお歓び申上げたまでで、詳しくは、後日、書簡か参上するかした時にお話しする、と書いたのであろう。

宛名の「山 甚五左衛門」は、山内甚五左衛門のこと。前職は下野国真岡代官で、安政5年(1858)駿府に代官として赴任した。したがってこの文書は安政5年、幕末の頃の文書である。代官の名字を一文字に省略するのはよく見られることで、本人も回りも同じように省略している。どういう意味があるのかは調査中である。
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