河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

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OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

2679- スラヴ行進曲、チャイコン、ユーチン・ツェン、ハチャトゥリアン、スパルタクス・アダージョ、交響曲第3番、ミハイル・プレトニョフ、東フィル、2019.3.13

2019-03-13 23:43:42 | コンサート

2019年3月13日(水) 7:00-9:10pm サントリー

チャイコフスキー スラヴ行進曲変ロ短調op.31  10

チャイコフスキー ヴァイオリン協奏曲ニ長調op.35  18-7+10
 ヴァイオリン、ユーチン・ツェン

(encore)
タレガ アルハンブラ宮殿の思い出  2

Int

ハチャトゥリアン スパルタクス より アダージョ  10

ハチャトゥリアン 交響曲第3番ハ長調 交響詩曲  26
  オルガン、石丸由佳

(encore)
ハチャトゥリアン 仮面舞踏会 より ワルツ  4


ミハイル・プレトニョフ 指揮 東京フィルハーモニー交響楽団



ハチャトゥリアンの作風はどのようなものなのか、改めて考えてみると何もわかっていない。そこそこ聴いてはいるはずだが、フォーカスしないのは自分のせい。トランペット15本という奇抜なアイデアの思考経路をたどってみたくもなる。

プレトニョフによるオール・ルッシアン・プログラム。彼が振ると派手さは遠のく。最初の3曲の静かだったこと。プレトニョフは東フィル相手に毎回、きっちり仕上げて本番に臨んでいる。隅々まで素晴らしく整理整頓、コントロールされた演奏には血がかよい生き生きしている。

スラヴ行進曲に突進のようなものはまるで無くて、しつこく下降を繰り返すメロディーラインをインテンポで淡々と語り尽す。つんのめっていかないオーケストラは一聴の価値がある。指揮者のコントロールが極めてよく効いている。こうゆうところを聴いていると、あまり中身のない曲だななどという話しはたちどころに忘れ去る。マーチだったという実感や手応えが出てきますね。帝政ロシア国歌のコントロールなど涙ものの制御力。
味わい深い演奏に聴き惚れる。

次のチャイコンもオケ伴が凄い。オケの整い具合が異常な完成度。伴奏を聴く醍醐味という言葉が浮かぶ。
ユーチン・ツェン、お初で聴きます。細身でなかなかスタイルがいい。弾きっぷりも同じような感じで、直線や鋭角な折れ曲がりの味わい、曲線はなかなか出て来ない。明るい音色で時折魅せる水しぶきの様な幅広で鋭いサウンドが魅力的。精密な伴奏とこのヴァイオリンソロ、方向性が揃うあたりの透徹した響きが心地よい。まあ、いずれにしても、指揮者、出色のパフォームでした。凄いもんです。ソリストはどんな思いで弾いているのだろうね。

休憩で一服。
後半はハチャトゥリアンが2曲。最初の曲はアダージョ。元々静かと言ってしまえば身も蓋もない。プレトニョフの棒はむしろ力感に溢れている。最後の締め具合など共感以外の何ものでもないのだろう。夜の甘さ、それに、この渋さ。プレトニョフの棒にはホント、何度でもうならされてしまう。味わいが深すぎる。

最後の締めは同じハチャトゥリアンの交響曲第3番。
作品完成までの経緯を考えれば派手なところが当然あるものだろうが、だからといってトランペット15本とは。どのような思いでこうなったのか。天才も人それぞれなのだろうか。まあ、生の実演に接する幸福感を聴くほうは満喫しなければならない。

いきなり、スタンディングした15本から派手に始まる。でも、驚天動地という言葉を使うならそれは、続けざまにプレイされたオルガンにこそふさわしいものだろう。
ごく短い音符の塊パッセージが荒れ狂う。壮絶早業悶絶神技オルガン。これ、圧巻。なんだか、とんでもないものの現場に座っている。
自席少し遠めでよくわからなかったが、あらかじめオルガン正面に貼ってある譜面を、一枚ずつ剥がしながらのパワープレイに見えた。いずれにしても、嵐の様な演奏が続いた。
15トランペットの着想よりもこっちのほうに興味がわく。どうすれば、ああなるのか、ハチャトゥリアン。凄い現場。
そしてようやく静けさも出て来て、うねるような進行。オーケストラのインストゥルメントはそれぞれお互いに、なにやら幾何学的な色合いで、その音の長さを測っているいるかのようなモノローグ風味の内容が続いていく。わりとやにっこい。
と、ふと、プログラム冊子を見てみると、ハ長調と書いてある。副題は交響詩曲だって。
たしかに、そういわれてみればそうかもしれないが、そんなことよりもむしろ、前衛の作曲家の意気込みを感じる。かなり、先取りした音楽ではないだろうか。現音好みからするとここらへんのスリル、どうなんだろうのサスペンス。ワクワクしてきますね。作曲家が一番冷静だったのだろうが、指揮者はもっと冷静に振らなければならない。聴いている間中、今思うと指揮者の姿が見えなかった。意識から消えました。凄い指揮者の凄まじさ、感じましたね、あとで。終わったところで、ぼーっと立ち尽くした、気持ち。

とんでもねぇ曲だ。

このドデカサウンド、それよりも先取り音楽のやにっこさ、中和剤のアンコールではなかったか。定期でのプレトニョフのアンコールあったっけ、今浮かんでこない。
この中和剤のワルツ。幅広でドデカい。でも、プレイヤーも指揮者も冷静。今日の最初からの流れをじっくりと思い起こさせるような内容。圧倒的な膨らみ、抜群のテンポ感、ややエキサイティングなそぶりを見せつつも、今日のひと仕事もパーフェクトな出来だったなとプレトニョフが思ったかどうかは別にして、それ、両手をこすって埃を振り落としたのは聴いている自分だった。

ありがとうございました。
おわり



















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