河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

PC版に一覧等リンクあり。
OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

2237- バガテル、ベトソナ31、映像、フォーレ、ショパンソナタ3、小林律子、2016.12.8

2016-12-08 23:27:35 | リサイタル

2016年12月8日(木) 7:00pm リサイタルホール、オペラシティ

ベートーヴェン 6つのバガテル Op.126 19′

ベートーヴェン ピアノ・ソナタ第31番変イ長調 Op.110  7′2′4+8′

Int

ドビュッシー 映像第2集  5′5′5′

フォーレ 夜想曲第13番ロ短調  8′

ショパン ピアノ・ソナタ第3番ロ短調  10′3+10′6′

(encore)
ショパン ノクターン(遺作) 嬰ハ短調  4′
ドビュッシー 月の光 5′

ピアノ、小林律子


ベトソナ31の第1楽章は、いつも、なにか、途中から始まったような雰囲気が漂い、その終止音は人生があっさりと終わりをむかえる、そんな、中断された過去を語るような気配がある。

終楽章はフーガでの2回目の嘆きの歌のあと、コラール風な押しが突然現れ、そして、それまでの色々な主題が折り重なるように絡まり激しく奏でられる。

挟まれたスケルツォは転換のようにも聴こえる。結局、全曲に渡り、振幅の大きな音楽となっている。技術的な技は昇華しているようにも思える。聴いてて技を忘れる。

聴き終えて、声にならない。よくもまぁ、こんな曲を作れたもんだ。凄い曲。

小林さんはお初で聴きます。落ち着きを感じますね。
音楽が落ち着いていて、ゆっくり目の進行が味わい深い。殊更、音の律動を強調しない。かといって流れていくような具合でもない。漂っている。音の中身が見える。
ベートーヴェンは凄いってあらためて思う。そう感じさせてくれる演奏でした。この曲への理解がだいぶ深まりました。

1曲目のバガテル。作品番号でいうと第九の次の作品。ソナタ32作品よりあとの作品。
小林さんの演奏、なにか、晴れ切らないベートーヴェン。31番と同じスタイルで奏されていると思いますけれども、ちょっとブラウン系な肌触りのぬくもりがいい。

後半のドビュッシー。漂う色あいが味わい深い。イメージの世界ですたしかに。
どんよりと沈みこむ。角張らない音の律動。グレーに塗られた音の世界。
ベートーヴェンとは別な世界に浸る。新しいピアニズムだったんでしょうね。実感できました。

フォーレ。ちょっとモヤモヤ感があって自分の頭の中で音のテクスチュアを浮かび上がらせながら感じるところまではいかず。

ショパン。
ベトソナ聴くのに手いっぱいでショパンまで耳がまわらないのですが、それでもこの3番は割と聴いていると思います。
ラルゴが深い。この日のリサイタルの最後に置かれたプログラムだったんですが、ここでようやくと言ってはなんですが、左手バスの安定感に気付きました。雄弁と言いますか。
このガッチリソナタ形式。ピアノソナタって言うぐらいだから大概そうなんでしょうが、そういう中にあってこの緩徐楽章、そういった形式や構造の事を忘れさせてくれる。もうひとつ上、高みにあるようなおもむきの楽章を感じさせてくれた。さえるバス。かみしめて聴くラルゴ、出色の演奏でしたね。
全般に渡り、音をやつさない、粗末にしない、一つずつ歩を進めていく筆の運びで、やっぱり音の中身がよく見える。自分としてはしっくりくるものがありました。

アンコールの前に、はあ、と一呼吸。ちょっと笑いを誘いましたけれども、これだけ弾いて精根尽きる実感。客のほうも納得した場の共有感のようなものをお互いに感じての事でした。集中力凄かったという話ですね。
いいリサイタルでした。ありがとうございました。
おわり


2236- マラルメ、主なき槌、半田、板倉、東京シンフォニエッタ、2016.12.7

2016-12-07 23:59:49 | コンサート

2016年12月7日(水) 7:00-9:00pm 小ホール、東京文化会館

バンジャマン・アタイール タクディマ(日本初演)  29′

ラヴェル マラルメの3つの詩  4′5′3′
 ソプラノ・アルト、半田美和子

Int

ブーレーズ ル・マルトー・サン・メートル 2′5′2′5′5′5′1′6′9′
 ソプラノ・アルト、半田美和子

板倉康明 指揮 東京シンフォニエッタ


素晴らしい企画のプログラム。
東京シンフォニエッタと書いてあるが、ごく少人数による演奏。プログラムノートに楽器編成が書かれていない。特に日本初演ものもあるし、ちょっと痛い。

1989年生まれのアタイールの日本初演もの、タクディマ。アラビア語で「贈り物」。ブーレーズ90才の際の贈り物ということだから、彼にデディケートされたものと推測される。
楽器編成は左から、vn-hrp-pf-ob-trb
これら5人でそれぞれの楽器と近くに置いたパーカス類を叩く。
中身はプリ・スロン・プリ等々オマージュもののようです。4つのセリーを使用。シリアルものですね。
初めて聴くのでよくわからないが、順番ありそうな構造、最後のまとめ上げなど、わりと明瞭に聴ける。
30分というロングなピース。現代ものの弱点のひとつは長く続く曲を書けないというあたりにあると思うのですが、タクディマはそこらへん克服しているようだ。ユニークなインストゥルメント活用で多彩な響きとしっかり構造からくる音楽の出来具合の良さというのが大きい。ウエットな流れと時折見せる立ち上がりの良さが音楽に変化を与えている。
師としたブーレーズが横で見ているのかもしれない。

マラルメ
半田さんのクリーミーで柔らかく伸びのある声が魅力的。作曲者これ以上精緻な音楽はありそうもないといった細やかな音の運び、歌が情感を湛えつつ進行。なんだか積分も微分も因数分解もこれ以上は出来そうもない。
マラルメのためいき、あだな願い、躍り出た、膨らみと上昇から。この3ピース。詩を味わいながら聴く。神経細胞の直聴き(じかぎき)みたいな雰囲気ですね。コンパクトなホールで味わうラヴェル最高ですな。

主なき槌
ブーレーズの傑作。何度か聴くと構造が見えてくる。書くときは相応な時間をかけて工夫を凝らして策を練って作品に仕上げていくのだと思うが、出来上がった作品というのは一瞬のひらめき技のようにも聴こえてくる。メシアンのトゥーランガリラなんかもそうですね。一筆書きのような一気作品のように聴こえてくる。スバラシイ。
研ぎ澄まされた音符。都度、ストンストンと切れ味鋭いイディオム。さえわたるブーレーズのひらめき技。キレキレのプレイも腕前良くこれまたさえわたる。
声の扱いも含め最後の9曲目は大きいですね。濃縮ジュースを圧縮したようなおもむき。
生で聴くブーレーズ作品の味わいは深い。

最高の企画でした。ありがとうございました。
おわり


2235- セビリアの理髪師、新国立、アンジェリコ、東フィル、2016.12.7

2016-12-07 23:54:38 | オペラ

2016年12月7日(水) 2:00-5:30pm オペラパレス、新国立劇場、初台

ロッシーニ 作曲
ヨーゼフ・E.ケップリンガー リヴァイヴァル・プロダクション
セビリアの理髪師

キャスト(in order of appearance at Act)
フィオレッロ、桝貴志(T)
アルマヴィーヴァ伯爵、マキシム・ミロノフ(T)
フィガロ、ダリボール・イェニス(Br)
ロジーナ、レナ・ベルキナ(Ms)
バルトロ、ルチアーノ・ディ・パスクアーレ(Br)
ドン・バジーリオ、妻屋秀和(Bs)
ベルタ、加納悦子(Ms)
隊長、木幡雅志(T)
合唱、新国立劇場合唱団

フランチェスコ・アンジェリコ 指揮 東京フィルハーモニー交響楽団


(duration)
Ov.  6′
ActⅠ 90′
Int
ActⅡ 57′


ロッシーニ・クレシェンドとともに人達が増え、舞台は騒然となってくる。
ケップリンガーによる圧巻のプロダクションです。

この演目はこれまで、1998/9シーズンから断続的に4種のプロダクションで6シーズン上演されていて、7シーズン目となる今回はケップリンガーによるもの。彼の舞台は4回目(2005/6)、5回目(2006/7)、6回目(2012/3)と3シーズンにわたり取り上げられていて今回が4回目。演目同様、あたりの演出ですね。今日のキャストもこれまで同様ほれぼれするもので大当たり。


演出、動き、衣装、歌、揃った内容で大いに楽しめた。
序曲で幕が開き、奥にある舞台セットが前に移動、そのまま回り舞台となるあたり新国立の仕掛けの規模を感じないわけにはいかない。
8人衆、序曲が始まると前に横一列にそろい踏みしパントマイム風なパフォーマンス、ときおりみせるストップモーションがしゃれている。幕中でもたびたび出てくる。
登場人物は一人を除き8人衆のキャラクターがものの見事にきまっていて素晴らしすぎる。序曲からいい感じ。バジリオ妻屋が一番たっぱがありそうな雰囲気で頼もしい。

奥の舞台がグイーンと前にせせり出てくる。1階2階、真ん中に廊下風な間仕切りがあって右左に2部屋ずつ。原色系のカラフルさがお見事で、8人衆の衣装の具合とよくマッチしている。観ているだけで楽しくなる。かみてにはネオン小屋。これは何かと。

序曲でこれだけ派手に色々あると、歌い手も、もはや、劇をしなければならない。その覚悟は十分すぎるほど伝わってくる。やるしかないよね、役者になり切る、見ものです。

ケップリンガーによるシチュエーションは、フランコ政権下の1960年代。
とりあえず、これを頭の中にインプット。なるほど、回り舞台左サイド1階のリビング風な部屋のテレビはザラザラした白黒映像。何が映っているのかよくわからない、なんか建物風な感じ。
かみてのネオン小屋el cambio、これは家政婦ベルタ加納が経営する娼家なんだろう。わりと目立たない衣装だったベルタがギラギラ衣装で歌う第2幕のベルタのアリア、あれは素晴らしいもので加納さん最高の歌唱、そこでの演技はお金を周りにあげること。お金と愛情のやりとりはこの舞台でのテーマであるのだなと強く感じさせる。


キャラクターのはまり具合、演技、歌唱、どこに目をやっていればいいのかわからなくなるぐらいのもので、特にロジーナのベルキナさんには歌ってなくても目がいってしまう。体当たりの演技。観てる方としては痛し痒し。自然で大胆でバレエチックな滑らかダンス、どれをとっても素敵。カヴァティーナ、アリアの大らかさも合わせ、シビレマシタ。素敵ですね。

伯爵役のミロノフは半端ない容姿で、あれなら誰でもコロリだろうね。リンドーロ、アロンソ、色々と演技はするものの、彼らには化けきれないほれぼれスタイルだものね。
2幕大詰め、嵐の舞台の見事さ、そしてそれを経て3重唱のあとの伯爵のアリア、もう逆らうのをやめろ。テノールのコロラトゥーラを満喫。ミロノフさんにも唖然茫然です。

フィガロとロジーナはなんだか仲の良い恋人っぽい雰囲気。友達感覚越えのアトモスフィアを感じさせる演出。まぁ、このフィガロ、そのままモーツァルトに飛んで行ってもまるで違和感なし。
体躯といい、俊敏さといい、ウィットにとんだ演技といい、言うことなしですな。同じバリトンのバルトロと張り合う歌唱、このサイズにしてこの歌唱。バルトロをやりこめるのは伯爵のすることではなくフィガロの役目と認識。
頭のところフィオレッロに続き、いきなりの登場アリア。圧巻でしたね。最初から圧巻という話です。

バルトロのキャラは大まじめ人物風味満載の初台初出演のパスクアーレさん。まるでオペラを歌うために生まれてきたようなお名前。
大真面目になればなるほどブッファ風味が出てくる感じなんだが、まぁ、こけない、夢見る医者といったところか。よくとおる声でバリトンの魅力をこれまた満喫。このオペラはバルトロのウエイトが高いですね。歌い切れないアリアは煮え切れない役どころ我慢強く。
大詰め、ロジーナに振られ、みんなに騙されと散々なお医者さん、ブーケトスならぬ投げやりほっぽり投げのお花をしっかり受け止めたのは加納ベルタさん。なんだろう、この決まり具合は、笑。このシーンだけでなく、工事やぐらへの財布投げなど、トスが良くきまっていた舞台で、こういうあたり締まった良い舞台と感じさせてくれるひとつのポイントでもあって、すっきり。鮮やかな舞台。

バジリオ妻屋、チャリライダーになったり、ホップステップジャンプ、細かい動きで大いに見せてくれました。カーテンコールでは中心人物なのではないかというくらいの重力を感じさせてくれた。
キャラクターで魅せてくれました。まぁ、もっと歌を聴きたかったというのがこちらの本音。

あと、隊長さんは憲兵のような雰囲気。時代設定より前の時代の日本を感じさせてくれた。


ケップリンガーの演出は歌い手の動きが非常に多い。歌手兼役者といったところを求めていて、一瞬、昔の東ドイツ風なやり口がかすかに頭をかすめる。あの頃と違うのは歌い手が手堅さを越えたものになっているということ。
動きが歌い手と別なところでもたくさんあるので、目移りするシーンも結構多い。棒立ち演技オペラの真逆をいく感じでこれはこれで多く楽しめる。痛し痒し的なところは観る側のものだろう。
原色的なカラフルな舞台、それに衣装。目にしっかり焼き付く。それに、嵐のシーン。嵐と言ったら嵐なんだと。原色的な解釈、ここらへんもすっきりしますね。秀逸な演出で大いに楽しめました。
完成度が高い演出にひとつ穴は必要なもんなんだよ、とケップリンガーが思ったのかどうか知りませんけど、9人目は違和感あり過ぎて声も出ない。これはこれで印象的ではあった。
おわり

 


2234- プルチネルラ、ナッツクラッカー、プロコフィエフ5番、上岡敏之、新日フィル、2016.12.6

2016-12-06 23:02:28 | コンサート

2016年12月6日(火) 7:00-9:20pm サントリー

ストラヴィンスキー プルチネッラ組曲  22′

チャイコフスキー くるみ割り人形 組曲Op.71a  22′

Int

プロコフィエフ 交響曲第5番変ロ長調  15′9′6′14′

(encore)
チャイコフスキー くるみ割り人形よりパ・ドゥ・ドゥ 5′

上岡敏之 指揮 新日本フィルハーモニー交響楽団


あえて音をぶつけていく、しり込みしない、腰の引けない音。上岡スタイルなのか。このオーケストラの意識を変えようという姿勢がよく見える演奏。プロコフィエフの空虚な響き、確信をもってプレイされた大胆な響きは聴きごたえ満点。空虚が空虚を呼び歯車的マシンのような運動が過熱してくる。プロコフィエフのユニークな音の運びを満喫しました。
思うに、新しく就任した指揮者は、オーケストラの新たなサウンドバランスを構築しようとしているのではあるまいか。音の大胆なぶつかり合いは、ダイナミズム的躍動感は結果であって、むしろパースペクティヴな奥行感覚を強く感じる。遠近的な奥行き感それに、先の展望、両方という意味合いで。
アンサンブルの立ち位置がすごく意識されている演奏で、例のモヤモヤの中とはいえ、有力パッセージは美しく流れる。一筋の線がうねって絡まっていく様は明確な意思表示的であって、また特有の芸風のおもむきでもある。
奥行感覚がよくわかる音場で聴くサウンドというのは大規模編成による音の饗演を浴びるオーケストラの醍醐味そのもの。
始まりのダークブルーな鬱的盛り上がりから最後の歯車運動まで出色の演奏でした。
それから、構成感、造形をご本人が強く感じながら振っていますね。各主題の切り分けが明快。混ぜこぜのパッセージでも主題のフレージングが極めて明瞭に現れる。この指揮者、全暗譜、全方位指示、完全掌握の曲なんでしょうね。フィナーレへの入りもきっちり一呼吸置くあたりもいいですね。

ひとつ、バックステージストーリーには全く興味ありません。
が、
自席からは色々と見える。苦虫を10匹ほどかみつぶしたようなプレイヤーさんがちらほらと、一体どうしたことか。いつも楽しくプレイする必要はない。でも、トップミュージシャンが自分の中で苦悩しまくっているときでさえ毎晩、違う客たちを幸せにしてくれる。そういったプロの姿を見せてほしい気がする。大変だとは思いますけれどもね。
ステージは、一段、高いところにあるわけです。

前半のプログラミングは、プルチネッラ全曲か、ナッツクラカー第2幕全曲だと、さらに聴き応えがあったように思う。まぁ、並べた気持ちはわかる。
ダンシングについては、ダンスが得意そうな欧米指揮者は踊らず、あまり得意そうでないジャパニーズ指揮者が極めてよく踊る傾向にあるのは、なぜか。
おわり




2233- フルトヴェングラー、ミラノ・スカラ座 ニーベルングの指環 CD盤とSACDハイブリッド盤の盤別カット比較

2016-12-05 23:20:24 | フルトヴェングラー

今年2016年11月にSACDハイブリッド盤がでたので購入。

例によって曲の途中でズタズタ切る編集ながら、CD盤とちょっと違っているところがありましたので、とりあえず全部比較することにしました。
ワルキューレが4枚から3枚に。ほかは同じです。


CD盤 SEVEN SEAS KICC 2231/44  発売日1992/11/21

SACDハイブリッド盤 SEVEN SEAS KKC 4072/84  発売日2016/11/23

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【随時内容更新1】
ワルキューレ1幕を比べてみました。
・SACDでは、演奏前の登場拍手が収録されています。CDでは収録されていません。
・SACDでは、演奏後の拍手が収録されていません。CDでは収録されています。

・SACDでは1枚目に1幕全部と2幕頭少し入ってます。1幕が終わったところで拍手も何もなし。0.1秒も置かずほぼ連続演奏。編集ミスではないかと思えるぐらい続けざまに2幕に入る。(購入先に確認中2016/12/14)

・音質はSACDでも丸みは出てきてないのですが、キンキンがCDより疲れる。耳が疲れた。

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【随時内容更新2】
購入先から回答あり(2016/12/26)
不良ではないが返品に応じる、とのこと。
何度かやりとりがあり(注)、最終的に、「不良ではない」が「返品に応じる」とのこと。
「不良ではない」というのは製造元の言。
「返品に応じる」というのは販売元の言。

(注)これの焦点は、拍手のカットの話ではなくて、ワルキューレ第1幕と第2幕頭のカッティングがつながっているのではないか、ということです。

結局、返品しました。以上
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絵の順番は、楽劇別に CD→SACDハイブリッド です。

ラインの黄金CD

ラインの黄金SACDハイブリッド

 

ワルキューレCD

ワルキューレSACDハイブリッド

 

ジークフリートCD

ジークフリートSACDハイブリッド

 

神々の黄昏CD

神々の黄昏SACDハイブリッド

 


以上、

いつになったらまるごと収録の正規品だしてくれるんでしょうか。