河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

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OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

1299- ハインツ・レーグナー読響 モーツァルト、ブルックナー1981.7.13

2011-09-21 00:10:00 | インポート

昔の演奏会から。
1981年はこちら(一覧)
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1981年7月13日(月)7:00pm
東京文化会館
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モーツァルト ピアノ協奏曲第24番
 ピアノ、神谷郁代
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ブルックナー 交響曲第9番
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ハインツ・レーグナー 指揮
読売日本交響楽団
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例によって当時のメモをそのまま書きますけど、かなりひどい。文章よりも演奏内容がです。
他のオケでこの演奏よりもっとひどい演奏も何度か聴いたことがあります。明らかにソロパートのやりくりがつかなかったと思える演奏会もありましたし、総じて技術レベルが低く、さらにモチベーションがなかったりすると最悪の演奏になる。でもそんなこと、その場にいて聴いてみなければわからない。それがコンサートに通うということ。
まちまちな演奏会が多かった中でN響だけが平均的に安定してとりあえず安心して聴いていられるレベルではあった。それでも優秀なウィンドに比して、トランペット、ホルン、トロンボーンの不安定さは隠しようもなかった。それをおもえば今はみんな超一流です。
この時代の読響は不調だったのか知らないが、今はこんなことはないのは承知しています。
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当時のメモ

ドレスデンのブルックナーとなんと違うことか。
惨憺たる演奏であった。
モーツァルトにおける木管のアンサンブルは品の悪さを越えて下品であったと言っても言い過ぎではないように思う。あまりにも歌がなさすぎる。室内楽的アンサンブルにまるでなっていない。歌がない。音が干し草のように乾いている。
ブルックナーは指揮者がこのオケと明らかに練習不足であるということをさらすだけのものでしかない。
まず、第一の失敗は弦と管のピッチの相違。音楽が二種類になって別々のところで鳴っているとしかいいようがない。それに金管楽器の深みのない軽薄な音。
日本のN響以外のオケは曲でしか人を寄せつけることができなくなっているのではないか。はっきり言って、モーツァルトが2曲並んだとしたらこれだけ人がはいったかどうか。
また、久しぶりに興ざめしたのは、この演奏もさることながら、ブルックナーの第3楽章の余韻があるうちに素晴らしい拍手合戦があったこと。これじゃオケもたいしたことがないけれども、聴衆も拍手要員でしかない。(曲の終わりそうな頃に来て拍手だけして帰ってください。)
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こんなメモでした。
はっきり言って、ぼろくそですな。いくらありのままとはいえちょっと失礼しました。
でも、当時は聴きての自分としても感受性豊か、耳も研ぎ澄まされていて、たぶん間違いのないところ。
それはそれとして、この日のプログラムノートは宇野さんが書いてますのでそれをアップしておきます。これは聴く前に書いたわけで、聴いたあとどう思ったのか知りたいところではある。
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