2010年12月4日(土) 3:00pm NHKホール
ショパン ピアノ協奏曲第1番ホ短調Op.11
ピアノ、ユリアンナ・アヴデーエワ
(2010年第16回ショパン国際コンクール優勝者)
(アンコール)
ショパン マズルカ イ短調67-4
Int
ストラヴィンスキー 交響詩「うぐいすの歌」
ドビュッシー 交響詩「海」
シャルル・デュトワ 指揮 NHK交響楽団
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この12月は第九公演の前はシャルル・デュトワ3プログラム6公演で内容的にかなり充実したものになりそうだ。
この日は本年第16回ショパンコンクルール優勝者が出演するというので、完売、満員御礼。
デュトワのストラヴィンスキー、ドビュッシーの演奏内容に今日ほど心を打たれ、納得した日はないが、その前に前半のショパンです。
この前、ダン・タイ・ソンが弾く2番を聴いたばかりです。こうやって日をおかずショパンコンクールで優勝した両者を、それも同じ作曲家の1番2番の協奏曲を聴けるなんてハッピーです。ピアノを聴き比べるなんていう術を持ち合わせていないお河童さんとしては僥倖を享受するだけにとどめたいと思います。
アヴデーエワは1985年生まれというから25才。スキニーで、見られ慣れている。演奏内容も含め相当な場数を踏んでいると察します。演奏については一言しかありません。つまり、
今回初めてピアノのなんたるかを思い知らされたような気がしました。透明で深いタッチ、クリアなフレージング、明確なリズム、胸のすくような小気味のよい節回し、流れるパッセージ、滴る詩情、スタイリッシュで現代的。
なんだかいろんな言葉が浮かんできます。ピアニッシモで客を黙らせるものすごい説得力。美しすぎる演奏でショパンの煌びやかさと憂いが交錯する様も圧倒的、音楽のもつ表情が万華鏡のような多面性を帯び、魅せてくれました。本当にいい演奏だと思いました。魅了されました。
彼女はこの日の演奏は、落ち着いていて、気持ちが安定して、余計なことをなにも考えることなくショパンと会話していたような気がします。身振りも大きくなくそれでいて音楽の流れを先取りするようなアクションが流麗で自然、アンコールでのたたずまいにはこの上なく感銘を受けました。ピアノとは心に介するものとわかりました。
音楽へのピュアな姿勢が音になっているような感じで、なんだか、いろんなものを聴きたくなりました。ソロ・リサイタルを聴いてみたいと、久しぶりに思った。
聴けて良かったですね。本当に。
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後半はデュトワの面目躍如たる演奏になりましたが、前半のショパンを聴いて帰路についた人たちが結構多かったように見受けました。たしかにショパンと後半のプログラムは水と油みたいなもんで、その意味では目的意識を持ってきた聴衆は潔いともいえる。後半のプログラムには関心がないんだ。よく理解できます。帰る人たちがどうゆう人たちかもわかります。いい悪いの話ではありません。
それで、デュトワさん、またお得意の3曲構成のプログラミング・ビルディング。昔からとはいえ、ロマン派より後の作曲家を十八番にしているので、どうしてもこうなっちまうんだな。今日は偶然かもしれないが、3曲構成3曲とも3楽章構成、3づくしです。
デュトワの力量はいまさら言うのも変ですがあらためて唸ってしまいました。例えば、海の「海の夜明けから真昼まで」における、ウィンドアンサンブルの意識されたふくらみのあるフレージング、全く作為的なところがなく、むしろなぜ今までこう演奏しなかったのか、と問いかけているようでもある。フルート、ファゴット、オーボエ、クラリネット、それぞれ近接したトップの体が無意識のうちに揺れ動くような演奏体験を久しぶりに見たような気がしました。このようなふくらみが音楽の表現に幅を大きくもたせ、貧相さとかけ離れたドビュッシーの深さを再認識させてくれる。これなどは一つの例にすぎず、アインザッツをずらすことなくきっちり揃えて、その先はそれぞれの線が自己主張したり、たしかにデュトワの棒に従うことに快感を感じているようなプレイヤーの弾きぶり、吹きぶり、なんだね。味わいが深く、大きな海を聴くことが出来ました。
そして、3曲目のティンパニが曲を閉じた瞬間を見計らってわめいたフライング気味のブラボーのおっちぁんは、この日も死刑、死罪で構わないと思います。叫びにきているだけです。みんなの前で他の人より先に声を張り上げるのが大好きなアホで、矯正不可、監獄行きでいいと思いますね。このような馬鹿ものもたまにはネットで「フライング・ブラボー」という言葉をググって、他に人たちがどう思っているのか読んでほしいものです。猛省を。
それから着メロの人は携帯ごと殺処分でいいと思います。
ということで、素晴らしいドビュッシーの海でした。後半1曲目はストラヴィンスキーのうぐいすの歌。これはもともと、夜泣きうぐいすの歌という劇からとられたもので、これはたぶん2回観ているような記憶がある。舞台だと結構面白かったような笑えたような記憶。それが音楽だけだとストラヴィンスキー特有のあまりダークではないがグレーでリズムもそこそこきいてはいるのだが、なにがなんだかわからないような音楽になっちまう。イメージを持っていない人が聴くのはちょっと辛いのではないかと思います。でも、ストラヴィンスキーの味わいは、そこそこいいと思いますよ。
デュトワのメリハリがきいた見通しの良い(知っている人にとっては)音楽。先を見据えた全体感を感じることが出来るもので、構成感なども意識した演奏。ただなんとなく、では済まない音楽にしてくれました。大ぶりでテンポが落ちないのもこのような曲では大切なポイントだと認識。いずれにしてもデュトワの力量を再発見。
アルゲリッチが来ていたとのことでしたが、ショパンコンクールつながりかな、それとも元旦那に未練?
おわり
まだ開封していないのでどのようなCDなのかわかりませんけど、楽しみですね。
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Joe Hisaishi : roots of my mind
久石譲さんの楽曲を、
事務員なりの演奏で収録してみました
CASK NO.1 ZMNG-0002
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ボカロ曲の名曲を、
自然な感じのピアノソロで演奏してみました
CASK NO.1 ZMNG-0003
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このジャケ写真ちょっと気になりますね。
どこのバーかな。
たぶんここだな。
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感想はまたあとでね。
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ペーター・ホフマンが11月30日に66才で亡くなった。早すぎる死だが闘病との決別なのかもしれない。
ペーター・ホフマンを観聴きしたのはわずかで、ローエングリン、ワルキューレ、マイスタージンガー、パルジファル、だけだと思う。(たぶん)
ただ、全て複数回みているはずなので印象は深い。
ヘルデンテノールの黒光りと容姿、限りなく舞台映えするもので今でも忘れられない。
白鳥ゴットフリートの瞬間技のところで、後光が射したかと思われたローエングリン。ちっぽけさから極度の盛り上がりまで劇的であったジークムント。感動的なヴァルターの「朝はバラ色に輝いて」これは決して忘れらない感動的な斉唱だった。そしてクリングゾルが放った矢はハープのグリッサンドとともに、空中で静止、つかみとるパルジファル。
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全部、さまになっていた。そして絶唱。素晴らしかった。
合掌
今日12/3はないもない。
来週12/10はなんかあるな。
12/17はたぶん忘年会とか第九とか。
12/24は飛び石連休の隙間でイヴか。
そもそも12/23の祭日がイヴイヴなんで、
その前日はイヴイヴイヴで、
どっちにしろ、どっかで飲んでるわ。
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音楽シーズンは個人的には9月から始まっていると思っているので(日本の場合、オーケストラによって季のスタートエンドが違ってたりするので紛らわしい)、演奏会に出かけた回数を月毎に出してみました。
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2010-2011シーズン
09月 07回(うちオペラ0回)
10月 14回(うちオペラ5回)
11月 11回(うちオペラ1回)
10月は恒例の一週間連続休暇をとったので、つい、多くなっちまいました。
3ヶ月で32回か。
いつもなら1シーズンでこんくらいの回数なんですが、仕事が暇で、サントリーホールが近いので、思い立ったらすぐ行けちゃう感じ。
いつまでもこんなことは続かないとは思うのだが、今までこんなことが続かないジョブだったので、今はそれの裏返しで、これはこれでいいのではないのかと思いますよ。
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それから、
よく、今年一番印象に残った演奏会は?なっていうアンケートがあったりしますが、それって1月から12月の間でどれっていうことなんだよね。シーズン跨ぎ無視のアンケートということで。
その線で行くと、1月~11月で一番印象に残ったのはこれ。
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2010年6月16日(水)
マーラー6番
アシュケナージ&N響
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この指揮者は、オペラ嫌いなんですが、そう公言できるだけの力を他で発揮できるんだから、それはそれでやっぱり凄い。
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オペラでは、新国立のワーグナーかな。
2月のジークフリート2回と
3月の神々の黄昏3回いっちまいました。
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この初台のオペラパレスは、奥行きがかなりあるものの横幅が少々小さめで、リング・サイクルなんかは、もうちょっとでかいハウスで観たいような気もしますね。今の感じは、なんか、一地方都市東京地区のハウスっていう感じ。
どっかみたいに、シティオペラとメトが隣接している、なんていうのは夢から覚めても難しいでしょうけれど、もうちょっとたっぱがあってもいいかな。今の初台だと、ワーグナーのオケ、鳴りすぎなんだよね。
もうちょっと便利なところにもう一つ作ってみたらどうかな。東京駅深度100メートルとかに。エレベータは100人乗り4台とかにして、あと、エクスプレス・ラインで20人乗りぐらい用のやつを10機ぐらい。
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ついでに、同じところにコンサートホールも作ってしまえばどうかな。とりあえずはレジデントとしてN響に住んでもらう。渋谷のNHKホールはいろいろと工夫の跡がありますけれど、どっちにしろ、どうころんでも、ころぶしかない。そんな感じなんで。
多目的の一つであるクラシックのコンサートは外した方がいいですしね。
渋谷駅からホールへの公演通りを登るのもジジババさんたちしんどうそうで、みんなタクシーとか例の直行バスですよね。あのバスいつも満員。バスの中はスローモーション・ビデオでも眺めているような錯覚に陥ってしまいますけど。ホールの開場もだんだん早めになってきて今は一時間前が普通。これはこれでゆっくりと足を運べるから悪くはありません。ピクニックということで。
東京駅深度100メートルに移したら、この人たちかえって大変かもしれませんね。
結局NHKホールコンセプト改造論が必要か。音響をどうのこうの言う前に多目的というコンセプトが誤りだったんですね。サントリーホールはそんなに吃驚するほど音がいいわけではありませんけどコンセプトに間違いがなかったということでしょう。ですから立地も正しい。
音響と立地だけとれば上野の東京文化会館にまさるところはありませんけど、席が狭い。けど昔の人ならちょうどいいですね。やっぱあすこが一番か。
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ということで12月です。中旬下旬は第九だらけでつまりませんが、普段聴かないクラシックも第九なら行く、それも12月限定で、という人はかなりいると思いますので、神聖な音楽に不徳な商売を自責の念にかられることなく絡める時期と言われればそれまでです。
おわり
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これ日本人の性癖なんですかね?DNAとか?
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会社のなかを移動するとき小走りする人多いですよね。これどっかの会社だけ特別っていうことはなくて、どこでもそうなんです。何十年も見てきたので間違いありません。
こんなことするのは日本人だけです。バタバタと駆けまわる。
アメリカ人に言わすと、オフィスの中を駆けるのを見ると危機感を感じるそうです。心的に焦るらしい。日本以外どこの国でも感じ方は似たり寄ったりだと思います。みんな走っているところを首をあげて眺めますから。
日本人が走るのはなにも会社の中だけではなくて、横断歩道の信号のところで走るのは、はたからみていて、まだ理由がわかりますけど、何にもないタダの道を小走りしてる人いますよね。あれなんですか。
自分も昔は走っていたような気がします。ワンブロックもあるでかいビルで右から左まで小走りして資料探しとかしてましたね、たしかに。
このブログはクラシックブログに投稿してますんで、その関係で言うと、演奏中に途中退場する聴衆がいるのですが、おじさんおばさんのたぐいが多いですけれど、なかにいますよ。演奏中でみんな静かに聴いているところ構わず、バタバタ小走り退場する人。日本人は宇宙人と言われてもしかたがないでしょ。普通ではないレアな感覚で希少民族だからそれなりに価値があるのかな。それとも、走るということは、単に早くつくので、時間の節約になる、ということ?そうかなぁ?誰かおしえて。
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他にも気になることがあって、
日本人って、よく人にぶつかりますよね。
ぶつかるのはたぶん、2種類あって、わざとぶつかるケースと、本当にぶつかるケースがあるような気がします。
日本人って、どかないんですよね。自分が悪くないと思ったら自分からはどかない民族なんですね。どっちかがどくまでぎりぎりの近さまで寄ってどちらかがどくか、そのままぶつかる。両方インテンショナルなコラプス。なんでなんだろう?当人同士でけんかおっぱじめたりしてますよね。
本当にぶつかるケースは、これです。
「日本人は進行方向を見て歩かない。曲がり角で特に顕著。」
よく見かけるのは、歩いていて道を右に曲がるとき、左をみるんですね。これ、ほぼあたり。笑えます。
進行方向を見ないんです。だから、右側から来た人とぶつかるんですね。右側から来た人は自分は正しいからどかないのでますますたちが悪い。このようなことは毎日でも遭遇するんですけど。おもろい人種でんな。なかには後ろを見て歩いている人もおりますねん。どないなってますねん。
どかない系でもうひとつ。混んだ電車の中で立っている人。足をつっぱって動かない人いますよね。移動せず、スペースも空けず、まるで根の生えた木のように動こうとしない人。これなんですか。頭かち割って脳みそ見たくなりますやん。
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あぁ、気になりだしたら止まらない。
まいど、レストランの食事。テーブル系に多いですが、一口食べてまわりをキョロキョロ、また一口食べては他のテーブルをじーっと眺める。相手が気分を害して目をあわせてくるまでじーっと見ている。これは別にレストランだけではなくていたるところで遭遇するんですけど。食事や会話を楽しんでいるところでの、外目からの「一口パク、相手じっと見。」あれは外国なら、スープ音立て食事よりアウトで、喧嘩になるかもしれません。個人主義の国の人たちは、そのように覗かれるのを極度に嫌いますから、特に。
それと、レストランでもそうですが、お食事や飲みでお店にはいるとき、ガラッと開けると、みんなじーっとこちらを見ますよね。お店のスタッフが見るのはわかるんですが、客が一斉にこちらをみる。あれ、なんで?
この現象は外国でもありますけど、日本人のじっと見は異常ですわ。それでこちらから睨み返して目が合うまで見るんですね。不思議な生き物ですわ。
見ることによって、また、睨み返すことによって、自分のテリトリーの確保、とか、そんな本能があるんですかね。とにかく、気になりだしたら止まらない。
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男と女の目はどうなんだろう。
男女の会話でうそをいうとき、男は目をそらしながらしゃべったりするようですけれど、女ってうそを言うときでも相手をじっと見てしゃべるらしいですね。目力(めぢから)一本、男の負け。まいど。
これは万国共通なのかな。
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12月になりました。
名付けて「師走のクリスマス」
和洋折衷なんでも食べてしまう日本人にふさわしいと思いますがどうでしょうか。
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また昔話です。忘れないうちに書いておくというか、時がたてば全く忘れてしまうようなことと結構ずっと頭の中に残っていることと両方ありますね。脳内コンディションにより思い出したり出せなかったりすることはありますけれど。
お河童さんは、音楽シーズン風に言うと1982-1983シーズンから1986-1987シーズンまで、政経金融風に言うとプラザ合意前後数年、マンハッタンの57丁目に棲息しておりました。仕事は音楽業界や政経業界とは全く関係ありません。普通に毎日仕事をして、なにもなければ9時から5時までのお仕事。髭の伸びが割と早く、仕事仲間によく、ファイヴ・オクロック・シャドウだねお河童さん、って言われてました。9時5時といっても実際のエンジンのかかり具合は9時半4時半で正味6時間。のんびりしていた時代ですが、でも、アメリカと日本の生産性のひらきは大きい。仕事の仕方や細かさの違い、表に出ない成果が多すぎる日本、成果と呼べるのかどうかも怪しい、誤り率の考え方の違いもあるし、それを受け止める方の習慣も違う。日本の至れり尽くせり文化とはまるでかけ離れた価値観、文化の違い。それは例えば日本の旅館をご覧ください。至れり尽くせり、何か少しでも問題があると不機嫌になる客。家庭、家の延長としての旅館、これは旅に向かうときの新幹線等の乗り物においても顕著で、すぐ自宅モードになる。レストランの食事もしかり。自分がかかわっているところが家になってしまう文化、仕事先も家になるし家も仕事場となる文化、生産性とはなんぞやと思ってしまいます。一方当時のアメリカ、少なくともウォールストリート界隈の空気しか知りませんけれど、他人とのかかわりの前に自己が確立している文化、明確な線引き、かなり違いますし、仕事の上での生産性は日本のみ異質といった感が強い。
話が最初から大幅にずれまくりですね。
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それで何年かすごしたマンハッタンのクリスマスですけれど、個人的には宗教行事には全く興味ありませんでした。でもいろんなものが目に飛び込んできます。
ちょっと忘れてしまいましたが、たしか、10月末のハロウィンだったか、11月第4木曜日のサンクス・ギヴィング・デイだったか、うるおぼえですけれどこの行事が終わると街が一気にクリスマスモードになります。日に日に街の中がデコだらけになっていきます。住んでいた57丁目だと5番街がクロスしているティファニーのあたりのデコな盛り上がりがすごい。ロックフェラーあたりも大がかり。
仕事場でも、プレゼント交換儀式段取りとかクリスマスカード漁りが盛り上がってくるんですね。こちらはあまり興味がないのですが、仕事場は日本人は少しいるとはいえローマはローマ、マンハッタンはマンハッタン。
プレゼントの交換儀式というのは日本でも同じようなことをしているのかどうか知りませんが、クリスマスの2週間ぐらい前に、同じフロアの連中でクジをする。あたりとかはずれとか書いてるわけではなくて、仕事仲間の名前が書いてあって、その引いた名前の人にクリスマス当日にプレゼントを持ってくるというわけです。もちろんそれまでは口外厳禁。誰が誰に何をプレゼントするのかわからない。当日朝、特設テーブルにプレゼントをポッポッと置いておき仕事を始める。全員分そろっているか受付秘書さんがチェックするわけですよ。それで夕方、みんなそれぞれテーブルからプレゼントを受け取っていくわけなんですが、タネ明かしがないので、結局、誰が誰にプレゼントしたのかわからない。そのまま日が進んでいってクリスマス・デイの祭日へ突入。オチも何にもありませんが毎年そんな感じでしたよ。いまだに誰がくれたのかわからないものもありますね。
プレゼント相場はだいたい10~30ドル。プラザ合意の前は1ドル230円ぐらいだったと思いますが、ドルベースでやりとする分には問題がありませんね。
プレゼント選びは、仕事がダウンタウンでしたのでブロードウエイをすこし上りウールワースの1階の百貨店とか、途中のワートレ(今はもうないワールドトレードセンタービル)のコートランド駅出口1階のアレキサンダーとかで済ませていたような記憶があります。
自分がもらったものは、当時からクラキチ、クラヲタで名を馳せてましたので、カセットテープとかLP(アナログディスク)、移行期で高かったCDなど、また、ファイヴ・オクロック・シャドウのせいか髭剃りセットの年もありましたね。
クリスマスカードに関しては結構問題ありというか、日本の年賀状みたいに相手の住所を問いただしてそこに送ると言ったことは個人主義の国、全くありませんでした。直接手渡しとか会社の壁に貼るといった程度ですね。
現地の日本人は年賀状がわりに当時からハッピー・クリスマスとハッピー・ニュー・イヤーを混ぜこぜにして海外郵便で日本の親戚、友人、会社の連中に出してました。郵便局は、あのビル、なんて言ってましたっけ、今は忘れてしまいましたが、トリニティーチャーチとバッテリーパークのちょうど間ぐらいにあった年代物のビルの1階がでかい郵便局になっていてそこはまめに行きました。結局、クリスマスカードというよりシーズン・グリーティング・カードとしての性格が強い。
このグリーティング・カード、結構高いんですね、シーズン物ですので。
それで庶民の知恵としては、クリスマス・デイが過ぎると急激に安くなり投げ売り状態になるところを見計らってタイミング良く買い占め、翌年用に利用する。これ、よくやりました。去年とおととしのカードが同じ模様だったということもありましたね。
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クリスマス・デイは祭日ですので仕事はお休みです。今年2010年はその12月25日が土曜日になってますので、前日24日の金曜日に振替えられると思います。日曜にぶつかっていたら月曜が休みのはずです。
ちょっとそれますが、今度の元日2011年1月1日は土曜日です。この場合も前日の金曜日に振り替えるんですかね。前日だと12月31日になるので、来年ではなく今年になっちまいますけど。みなさんお得意のあれでググッて調べてみてくださいな。まぁ、機械的と言っちまえばそれまでですけど。
アメリカの祝祭日は合衆国共通がデフォで決まっていて、それに各州ごとに、例えばニューヨーク州だとルーサー・キングの日などを休日として付け加える。毎年年末になると、フロアで一番偉い人が来年の祝祭日はこうだ、という感じでノーティス、ペーパーを配ってました。仕事柄カレンダー日付は大事なので年初までにしっかりと帳面しておいたものです。
それと、リープ・イヤーの問題点があったような気がするのですが今は思い出せません。
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それから忘れてはいけないのが郵便局員への心付け。お河童さんの住処は57丁目のコンドミニアムの一部屋。ワンルームサイズでした。いわゆるStudio、スタジオではありませんよ、ステューディオと発音してください。ステューディオで月払い家賃が$X、XXXでした。毎年値上がりしてまして所有者はいい商売だったんでしょうね。新築でした。セキュリティがしっかりしておりポストマンの顔は知りませんしどうやって心付けを渡したかと言うと、1階にある集合郵便受けのなかに紙にくるんで置いておくと郵便を配達しに来た際に受け取っていく。ただそれだけなんですが、やっかいなことが一つあって、ポストマンは一人ではないということ。それで1週間分だったか、隔日だったか、何度か心付けを置かないといけない。割と高額になってしまった記憶があります。
あとはドアマンとか裏で荷物運搬とか掃除をしてくれる人、1階裏口58丁目側にはクリーニングの手配コーナーもありましたので、そこにも。結構痛みました。日本のお年玉ほどではないと思いますが、普段お世話になっている人たちへの感謝の気持ちを表すということで。
ただドアマンには普段から結構握らせていたのでクリスマス・シーズンだからどうのこうのということはあまり気にせずでした。ドアマンというのは監視カメラみたいなもんで、頭も口も目も耳もついているので、カメラ以上にたちが悪いというか、日常の口止めがものをいいます。やっぱり何事も普段の心がけ次第ということでしょう。ここらへんの話はクリスマスとは関係ありませんので別の機会にゆずることにします。
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こんな感じで独り者の自由さ加減とこのような時期の一抹のさみしさ加減は、表裏一体なもので、全てがいいことだらけだったというはずもありません。心の隙間を忘れる為に遊ぶか、噛みしめて真っ当な人生とするか、どっちにしろ隙間が埋まったことはありませんね。タンホイザーなみの贖罪の気持ちが今となっては必要だというところでしょうか。
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ということでタンホイザーがらみでようやく音楽の話にこぎつけました。
お河童さんはニューヨーク・フィルハーモニックのサブスクライバーとして5シーズン聴きまくりました。中学校以来の夢がかなったということになります。昔はヨーロッパ、特にドイツで聴きまくり人生を送りたいと思ってましたが、とりあえずニューヨークでもいいかなという感じだったんですが、結局、こっちのほうが大正解でした。
仕事でその土地に住んでいて聴きまくりですから、旅ではないので旅の金がかからない。給料もらって生活して日常的に聴きまくりなわけです。演奏会ツアー客との違いは大きいですよ。
それで、メトロポリタン・オペラやカーネギーホールのサブスクリプションもメンバーで張っていましたが、今回のお話はニューヨーク・フィルハーモニックの年末にしぼって。
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このブログに1983-1984シーズンの聴きまくりを整理整頓してアップしております。よければまずその拙文をご覧くださいませ。他のシーズンについては折をみてアップしていきます。多すぎて簡単には書ききれませんけれど、全てノートに万年筆でメモ書きをとっているのでなるべく早めに全部電子化したいところではあります。(30冊)
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それでクリスマス。
1983-1984シーズンのニューヨーク・フィルハーモニックのクリスマス休暇は次の通り。
1983年12月21日(水)~28日(水)
ただ、これはコンサートがなかった日を示しているので、実際のところは27とか28に出勤して練習を開始していたのだと思います。完全プロフェッショナル集団ですので29日の朝っぱらからの練習、夜には定期、ということも考えられなくもありませんけど、そこらへんわかりません。クリスマス休暇はほぼ1週間前後といったところでしょう。
当時は、拠点のエイヴリー・フィッシャー・ホールでのサブスクリプション・コンサートは同一プログラムが4回。
木曜日8:00pm
金曜日2:00pm
土曜日8:00pm
火曜日7:30pm
お河童さんはこのうち火曜日をフルで持っていて、あとはイレギュラーなケースがあるのでつぶしで木曜日を少しもってました。月水土はメトの方です。
1983-1984シーズンはうまく曜日がはまっています。
12月29日(木)定期あり
12月30日(金)定期あり
12月31日(土)定期あり
1月1日(日)元日
1月2日(月)元日振替
1月3日(火)定期あり
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日本みたいに年初の三日間お休みといった風習はありませんので通常なら1月1日だけ祝日で休暇、あとは普通の生活パターンに思いっきり、なっていきます。
ぜひとも、1983-1984シーズン聴きまくりリンクをご覧くださいませ。
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今シーズン2010-2011はどうでしょうか。
コンサートの無い期間は
2010年12月19日(日)~27日(月)
休みはやはり1週間前後です。
翌28日(火)~31日(金)4日間連続公演。
年が明け、2011年1月(土)・2日(日)・3日(月)の3日間は休んで、あとは通常のパターンになっていくのでしょう。
ニューヨーク・フィルハーモニックの公演回数はめちゃくちゃ多いのはこのような日常のカレンダーを見ればわかります。本拠地のエイヴリー・フィッシャー・ホールで週4回、それ以外にニュージャージー、ボストン、フィラデルフィア、など近場への公演もあるので大変。さらに遠方ツアー公演もこなしていきます。日本やヨーロッパへのツアーなど多少長めの日程で組まれたりしても、本拠地での公演数をみたら、この公演スケジュールに穴をあけるのがいかに難しくて大変なことかと言ったあたりよくわかると思います。
ただ、音楽監督などというといかにも年がら年中くっついているような感じがありますけど、最近はどこのオケでも、名ばかり音楽監督、だらけですよね。お河童さんの時代は不調と言われたズービン・メータの時代でしたけれど、彼は、名ばかりでは決してない音楽監督、であって多く振っております。それだけ人気もあったということです。メジャー録音にあんまり熱心ではなくて、ベートーヴェンやブラームスもありますが、再発が絶えて久しい。マイナーへの録音は結構いいものがあります。バーンスタイン時代のすさまじい公演数については他の機会に。
そんなこともあって、通常のサブスクリプションに戻っていくのはいいのですが、誰それの解釈、などといったことはなくなりつつある。ただうまいオーケストラだけが残った、という形になりつつある。このような時代にオケを短期間でドライブさせる指揮者などごく少数になってきており、才能ひらめき型の欠乏は日本だけでなくどこでも同じ。
そんな感じで今シーズンも過ぎていくのでしょう。
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エンターテインメントは一般人がお休みの日か平日の夜のお楽しみ、その日時に逆の立場で仕事をするわけですから、あまり不規則ではないとはいえそもそもが大変なお仕事なんですね。ですのでクリスマス休暇はとても大事なものでしょう。ニューヨーク・フィルハーモニックがこの週公演を行わなくても、ほかのエンタメが山のようにあるエンタメ天国ですから街としてはピクリともしませんけど、クラヲタとしては公演して欲しい気持ちもありました。この時期、日本だと第九だらけですね。ニューヨークで第九を聴いた記憶はありません。山積みノートを調べれば聴いた記録が出てくるかもしれませんが飽くまでも通常の公演の延長でしかありません。
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ところで、我らお河童族の仕事は、カレンダー通りですよ。真面目に仕事をしておりました。
おわり
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