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1983-1984シーズン、聴いたコンサート観たオペラの一覧はこちら。
同じシーズンのMMFから今日はこれ。
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プレ・コンサート・リサイタル
1984年8月11日(土)7:00pm
エイヴリー・フィッシャー・ホール
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モーツァルト/ヴァイオリン・ソナタK.403
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モーツァルト/ヴァイオリン・ソナタK.377
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エマニュエル・アックス、ピアノ
チョウ・リャン・リン、ヴァイオリン
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メイン
1984年8月11日(土)8:00pm
エイヴリー・フィッシャー・ホール
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ARRIAGA/オペラ「The Happy Slaves」序曲
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モーツァルト/ピアノ協奏曲第22番K.482
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モーツァルト/ヴァイオリン協奏曲第2番K.211
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シューベルト/交響曲第5番D.485
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エマニュエル・アックス、ピアノ
チョウ・リャン・リン、ヴァイオリン
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セルジュ・コミッショーナ指揮
モーストリー・モーツァルト・フェスティヴァル・オーケストラ
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はっきり言って悪い指揮者ではないのだが、この前の二人つまりホグウッド、ウィルコックスと比べると明らかに伸び悩みというか、どちらの方向を指向しているのかあまり明確でない。オーケストラから引き出す何かが限られているような演奏である。シューベルトの交響曲第5番を古典というよりも、よりベートーヴェン的な表現にしようと努力していたように見受けられるが、それよりもかえってアリアーガの若々しくさわやかな表現のほうがよりあっているように思える。
なにはともあれ聴きものはアックスのピアノとリンのヴァイオリンにあったわけで、夏のチケットは安いし、これだけのものを聴ければ文句はない。
アックスはさりげないがよく聴くときめ細やかであるといった演奏ではなく、さりげなくよく聴いてもあっさりしている。これは現代若人の特色なのかもしれなく、何も悪いことではなく、逆に共感を得る演奏になっているようだ。
現代若者の演奏はこのようにまるで基盤のないようなところから自分独自の道を開いていく。それが本人に意識されていようといまいと。
一番成功した例はヨー・ヨー・マだと思うが、本人の経歴などとは無関係に彼らの演奏には基盤に無関係なさわやかさがある。ときには大胆に、時には凡人の共感を得るような気弱さで音楽を進めていく。音楽のあるべき姿などというものは私にはわからないが、少なくともこのような演奏に対して私が否定的になる要素はまるでない。
リンの演奏についてもアックスと同じようなことが言えるが、ちょっと思うのだが、別に熱演しようとしているわけではなさそうなので、それならば彼はほかの手段で私たちにうったえかけるものがあるということを示そうとしているのだろう、そんなつもりでこちららも聴いている。
おわり